東日本大震災から15年「ひまわり」号 遺構として残せるか 待ったなしの岐路

臨時船「ひまわり」の船長だった菅原進さん

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>

先月19日、宮城県気仙沼市の離島・大島で小型船「ひまわり」の船長で昨年7月に亡くなった菅原進さんの一周忌に合わせて「しのぶ会」が行われました。

死者・行方不明者2万2000人超の被害をもたらした2011年3月11日の東日本大震災の直後、「ひまわり」は孤立した大島の人たちの“唯一の足”として本土との間を何度も往復。約8カ月間、人と物資を無償で運び続けました。

島と本土を結ぶ気仙沼大島大橋が19年4月に完成したことから、20年に役目を終えて陸に上がりました。当初、菅原船長は廃船を覚悟。ところが小学生から届いた手紙に「船を残して欲しい」と書いてあったことから、震災の“生き証人”として保存することを決意します。そこでできたのが「臨時船『ひまわり』を保存する会」です。

船が菅原船長の自宅庭に移設されてから6年。当初、計画していた保存館の建設は資金難などから頓挫しました。現在は、屋根がない状態で風雨にさらされ、老朽化が進んでいます。破損した場所を自分たちで修繕し、ペンキを塗って補修をしていますが応急処置の域を出ません。海に浮かんだ状態と異なり、陸上では重力によるゆがみが大きく出ます。このままでは、震災の教訓を後世に伝えるはずの“震災遺構”が、やがてスクラップになりかねません。

「保存する会」では危機感を募らせています。会の役員で菅原船長の三女・美希恵さんは「父は『ひまわり』を後世に語り継ぎ、震災の記憶や助け合いの大切さを残してほしいと願っていました。父が残した思いと『ひまわり』を大切に守りながら、どのような形で受け継いでいくことが良いのか考えていきたい」と話しています。

菅原船長の死去から1年がたち、船も「保存する会」も大きな岐路に立っています。保存状況などを考えると、残された時間は多くないはずです。【松本久】