カルメン・マキ、竹田和夫と出会いから55年目の競演「また同じステージに立てること自体奇跡」

竹田和夫と一夜限りのスペシャルライブに臨む日本ロック界創始者のひとり、カルメン・マキ(撮影・小沢裕)

ロック歌手カルメン・マキ(75)とギタリスト竹田和夫(74)のスペシャルセッション「55 years伝説の夜 カルメン・マキ×竹田和夫~Vintage Makes Something New×CREATION~」が、11月6、12日に東京・有楽町のI’M A SHOWで開催される。カルメン・マキ率いるVintage Makes Something Newと、竹田率いるCREATIONが“競演”する。カルメン・マキに、その思いを聞いてみた。

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カルメン・マキは1968年(昭43)に劇団「天井桟敷」に入団。翌69年の歌手デビュー曲「時には母のない子のように」が100万枚超えの大ヒットになり、NHK「紅白歌合戦」に出演。だが翌年、ロックへの転向を表明して、71年に竹田率いるブルース・クリエイションのボーカルとしてアルバム「カルメン・マキ&ブルース・クリエイション」をリリースした。

「竹ちゃん(竹田)とは本当に長い付き合い。やっぱりすごいなと思う、全然衰えていない。もちろん、やってる音楽は変わっている。昔はブリティッシュ系のロックやブルースが中心でしたけど、今はもっとアメリカンな感じで、ショーアップされた音楽になっている。長い年月があって、お互いに別々の人生を歩いてきた。また同じステージに立てるということ自体が、ある意味で奇跡ですね」

デビューから57年。今も音楽に対する熱い思いを抱いて歌い続けている。

「今、70代が一番元気なんじゃないかと思います。私が若かった頃は、50歳を過ぎたら、もう引退しているようなイメージでした。仕事もやめて、60歳を過ぎたら家で静かに暮らす、みたいな。でも今、一緒に音楽をやっている人たちを見ると、60代のミュージシャンが本当にたくさんいる。昔では考えられなかったことですよね。むしろ60代、70代のほうが元気だなと思います」

17歳で寺山修司が率いていた劇団「天井桟敷」に入団した。

「女優になりたいと思っていたわけじゃないんです。ただ、何かやりたいなと思っていた時に、たまたま寺山修司さんの『天井桟敷』の舞台を見たんです。それがものすごい衝撃で『ここに入れば何かが変わるんじゃないか』と思った。“自分探しの旅”じゃないですけど、自分が何者なのかを探していた時期で、それで『天井桟敷』に入りました」

歌人、劇作家として活躍した寺山修司は、83年に47歳で亡くなった。「時には-」の作詞も手がけている。

「寺山さんは、日本にはあまりいないタイプのマルチプレーヤーだったと思います。芝居だけじゃない、作詞もする、映画監督もする、戯曲も書く、競馬評論もする。競馬が大好きで、自分の馬まで持っていた。それでいて偉そうじゃない。ユーモアがあって、自由な人でした」

「天井桟敷」入団の翌69年にフォーク調の「時には母のない子のように」でデビュー。大ヒットしてNHK「紅白歌合戦」に出演。70年にロックへと転じた。

「その当時、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンを聴いて、ものすごく影響を受けました。日本のロックが、まだ盛んじゃなかった時代だったんで、海外の音楽を聴いて『ロックを歌いたい』と思ったんです。『天井桟敷』を見た時の感動と、ロックに出会った時の衝撃は、ある意味で同じなんですよね。ジャンルがロックだからということではなくて、自分を突き動かすものだった」

半世紀以上、歌い続けてきた。

「私は歌う以外に何もできない人間だった。17、18歳で世の中に出てしまったから、アルバイトをした経験もほとんどない。だったら歌で生きていくしかないじゃないですか。歌っている時が一番幸せ。もちろん、ずっと楽しいことばかりだったわけじゃない。つらいこともありました。でも、やっぱり歌っている時が一番自分らしいんだと思う」

72~77年は「カルメン・マキ&OZ」で活動。

「OZを結成する前の数年間って、本当に濃かった。70年頃に竹ちゃんと活動して、その後にOZを結成した。たった2、3年の間に、10年分くらいの経験をしたような感覚がある。OZが結成されたのは1972年で、デビューは74年。その間、渋谷の駅前のライブハウスで、1日に5回ステージをやって、朝4時まで演奏するような生活。対バンがダウン・タウン・ブギウギ・バンドだったりね。ビアガーデンで演奏していて、お客さんに『帰れ』と言われることもありました」

75年には日本で開催された「ワールド・ロック・フェスティバル・イーストランド」でジェフ・ベック、ニューヨークドールズと共演した。

「ジェフ・ベックとは一緒にツアーを回りました。ホテルに泊まって、会場へ行く時も同じバスに乗って、いろんな話をしました。昔は本当にロックがあったと思う。今は“ロックのようなもの”はあるけれど、あの時代の意味でのロックは少なくなったと思う。でも、だから昔に戻ればいいという話じゃない。今でも諦めずにロックをやっている人たちがいる。それは、やっぱり並大抵のことではないと思う」

ロックから活動の幅を広げてきた。

「私はロックばかりやってきたわけじゃないんです。今も自分でいくつかユニットをやっていますけど、ロックはその中の一部。Vintage Makes Something NewではOZのリズムセクションと一緒にやってますし、関西で活動しているエレクトリック・モッシュというバンドでは、カルメン・マキ・フィーチャーリングという形で何曲か歌っています。それ以外はロックじゃない音楽も多い。ここ20年くらいは『自分はロックボーカリストだ』というこだわりはあまりないですね」

音楽ユニット「花鳥風月」では、朗読とバンドを組み合わせた活動もしている。

「一般的な朗読とは少し違います。音楽が流れて、ただ読むというものではなくて、ドラムやギターの即興演奏の中で朗読をしています。即興演奏と朗読の組み合わせですね。考えてみると、原点はそこなのかもしれない。『天井桟敷』で経験した、演劇と音楽が混ざり合う世界ですね」

ジャンルにとらわれることなく、音楽を追求して生きた。

「ミュージシャンを続けることは、簡単そうに見えるかもしれない。でも、今でもステージに立ち続けられるということは、日々の生活や努力の積み重ねがあるから。ファンの人には、そういう部分も見てもらえたらうれしいですね。努力なしで、続けられるわけがないんです」

カルメン・マキは、今も挑戦を続けている。

◆カルメン・マキ 1951年(昭26)5月18日、神奈川・鎌倉市生まれ。68年に寺山修司主宰の劇団「天井桟敷」入団。同年8月に「書を捨てよ、町へ出よう」で初舞台。69年「時には母のない子のように」で歌手デビュー。72年に「カルメン・マキ&OZ」結成。75年アルバム「カルメン・マキ&OZ」発表。76年アルバム「閉ざされた町」発表。77年解散。79年ソロアルバム「ナイト・ストーカー」を発表。80年「カルメン・マキ&LAFF」結成。81年「カルメン・マキ&5X」に改名。83年解散。94年(平6)にMOSES結成。97年「UNISON UNIT」結成。03年に「CARMEN MAKI&SALAMANDRE」結成。