不発83年組アイドル小林千絵 売れっ子になった後輩グループに「つらいことあるけど頑張れ」

「83年組アイドル アラ!?還ライブ」

不発だった1983年(昭58)デビューの“お神セブン”が22日、東京・北千住のシアター1010で「83年組アイドル アラ!?還ライブ」を昼夕2回公演で開催する。松本明子(60)、森尾由美(60)、小林千絵(62)、桑田靖子(58)、大沢逸美(60)、木元ゆうこ(59)が3年ぶり3度目の集結。80年代アイドルの華やかな歴史をへて、それぞれの道を歩んできた6人が、ステージに立つ。小林に聞いてみた。(2回連載の前編)

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小林の芸能界入りは81年に「西城秀樹の妹オーディション」でファイナリストになったのがきっかけだった。

「歌手デビューしたくて『スター誕生!』とか『ホリプロタレントスカウトキャラバン』とか、いろいろ受けていたんです。でも、いつも最後の最後まで行くんですけど、落ちていたんです」

「西城秀樹の妹コンテスト」では、優勝した河合奈保子と大阪代表になった。

「奈保子ちゃんとお手々つないで、それこそお手洗いまで、大阪代表の2人で一緒に行ってました。向こうはお父さんと、私はお兄ちゃんと一緒に新幹線に乗って、大阪から決勝会場の中野サンプラザホールまで行きました。それまですごく仲良くしていたんですが、最後に『河合奈保子ちゃんです』って選ばれた瞬間、スポットライトがバーッと当たって、記者さんが奈保子ちゃんを囲んで。さっきまで一緒にトイレに行っていた子が、突然遠い存在になった。それが、ふてくされる原因になったんです(笑い)」

優勝した河合は、その3カ月後の80年6月「大きな森の小さなお家」で「西城秀樹の妹」という触れ込みで、アイドル歌手デビュー。瞬く間にスターになった。

「本当かどうかは分からないんですけど、後に秀樹さん自身から聞いたんですよ。秀樹さんと結構お仕事を一緒にして、仲良くさせていただくようになった時に『実は千絵ちゃんで決まってたんだけど、僕が奈保子の方がいいって言って、ひっくり返ったんだ』って。その頃はもう、やっぱり秀樹さんは先見の明があったんやなと思いました。奈保子ちゃんは、大阪代表の予選の時から、私は『絶対あの子やわ』と言っていたくらい光り輝いてましたから」

歌手デビューへの道が断たれて、一度はあきらめていた。

「奈保子ちゃんからも『今度“大きな森の小さなお家”でデビューが決まりました』とか手紙をもらって『私も追いかけるからね』みたいなやりとりをしていたんですけどね。でも、ふてくされて、高校でちょっと不良をやってたんです(笑い)。だけど高校3年生になると進路の話が出てくるじゃないですか。先生から『小林、お前どうすんねん』って言われて、その時に『やっぱり私、アイドル歌手になりたかったんだ。これを最後にもう1回頑張ってみよう』と思って、またいろいろ受け始めたんです」

再びアイドルを目指してオーディションを受け始めた。

「まず『ミス花嫁コンテスト』に出たら、グランプリ。その後にヤマハの『ザ・デビュー』というオーディションに応募したんです。そこでやっと選ばれたんですけど、全然デビューの話が来ないんですよ。大阪でずっとボーカルレッスンをさせてもらって待っていたんですけど、ひとつも話が来ない。大阪のヤマハの方が『東京が動けへんから、待ってたらあかん。あんた、ポプコンに出す』って。ポピュラーソングコンテストに出て、本選会まで行って、そこからキャニオンレコードにつながりました」

83年3月に念願かなって「いつも片想い」でアイドル歌手デビュー。当時のヤマハは、あらたにアイドル部門を作ろうとしていた。

「ヤマハはニューミュージックのプロダクションで、八神純子さん、世良公則さん、クリスタルキングとか、そうそうたる方たちがいたんですけど、アイドル歌手を出すのは私が第1号だったんです。それでヤマハの中に、アイドル的なものを売る特別な部門を作って、そこの第1号が私、第2号がチェッカーズなんです」

小林も、福岡から上京してきたチェッカーズのメンバーも事務所の寮に住んでいた。

「千絵とチェッカーズで、仲良くやろうということで、食事会をしたりしてました。まだ福岡から出てきた、ちょっと田舎っぽい男の子たちだったんです。私は一応、華やかにアイドル歌手としてデビューしていたので、向こうも『うわー』って感じで。『みんな、つらいこといっぱいあると思うけど、頑張るんだよ』なんて言って、すごい先輩気取りで(笑い)。そうしたら、あれよあれよという間にチェッカーズが売れて。友達からサインもらってきてって言われて『今更、もらえないやん!』って(笑い)」

瞬く間に追い抜いていった後輩のチェッカーズ。小林自身はブレークすることがなかった。

「歌手で、全くヒット曲が出なかったんです。結構頑張って曲を出していただいていたんですけどね。売れなくても、売れなくても、頑張ったんですが全然ヒットしない。だから『これはもう、次に歌える機会が来るまで、なんとかこの業界で生き残ろう』と考えたんです。バラエティーに舞台を移して、リポーターからトーク番組とか。大阪出身だったので、大阪で吉本の方とか松竹の方とかと一緒に仕事をしていました。大阪で結構レギュラーをいただいて、東京に返り咲いて、その後もずっとバラエティー」

歌手としてヒット曲は出なかったが、バラエティータレントとして活躍。02年(平14)には、8歳下の番組スタッフと結婚した。

「8歳下で、大阪の番組のスタッフだったんです。出会った時、私は失恋をして2年ぐらいたっていて、人を信用できなくて、毎晩ワインを飲んでいたんです(笑い)。私、年上好きなんで。スーツの似合うジョージ・クルーニーみたいなおじさんが好きで、年下なんか目に入らなかったのに、パッと入ってきた。『パパやで』っていう、なんか声が聞こえて。『え、何これ?』って(笑い)」

1年近く片思いを続けたが、見かねた所属事務所の社長が仲を取り持った。

「『彼の電話番号もらってきたよ』って。余計なお世話やな、と思ったんですけど(笑い)。そこから始まって、結婚しました。ところが彼は、結婚した翌日に仕事でロサンゼルスに引っ越して行ったんです。1日も一緒におらず、別居結婚(笑い)。私がロサンゼルスに行ったり来たりしていたんですけど、子どもができて、パパがこっちに帰って来てくれて。今は仲良く一緒に暮らしています」

(続く)

◆小林千絵(こばやし・ちえ)1963年(昭37)11月20日生まれ、大阪・豊中市出身。80年に「西城秀樹の妹オーデョション」ファイナリスト。81年「ヤマハボーカルオーディション『ザ・デビュー』」優勝。83年「いつも片想い」で歌手デビュー。84年から「MBSヤングタウン」などに出演してバラエティーに活動の場を広げる。158センチ。血液型O。

▼「83年組アイドル アラ!?還ライブ」 8月22日、東京・北千住のシアター1010。正午、午後4時開演。