桂ざこばさん三回忌一門会、むちゃくちゃながらも誰からも愛された人柄

桂ざこばさん三回忌追善公演であいさつする弟子の桂塩鯛(撮影・阪口孝志)

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>

落語家桂ざこばさんが亡くなって丸2年が過ぎた。ざこばさんの三回忌を追善する「桂ざこば三回忌 米朝一門会」が先日、大阪市のサンケイホールブリーゼで行われた。

ロビーにはざこばさんゆかりの品が展示され、公演ではざこばさんが映像で登場。「桃太郎」を演じる姿に時代を超えて笑いが起こった。

ざこばさんには何度か取材をさせてもらったが、21年に持病のぜんそくと慢性閉塞性肺疾患を併発し公演を休演、動楽亭で復帰したときのことが印象に残っている。動楽亭の前で張り込んでいると、ざこばさんが「どないしたん?」と不思議そうな顔をして登場。冬の寒い日で「まぁ、中に入りぃな」と気遣ってくれ、まだまだ体調は「しんどい」と言いながらも、取材に対し大きな声でハキハキと答えてくれた。

公演でも、そんなざこばさんの人柄を表すエピソードが出演者から語られた。ゲストの桂文枝は、ちまたでネタにされる“不仲説”を逆手にとって笑いに変えたが、ここでは日々を共に過ごしてきた弟子や一門の落語家から語られたざこばさんとの姿を紹介したい。

まずは3番弟子の桂出丸。

「『空気や空気。お客さんとの気が合うかどうか』とよう言うてました。ちょいちょい合わない方も多かったですが、毎回違うけど毎回面白かった。『正直にうそだけは言わないように』とも言うてましてね。師匠はテレビ番組で『たばこを止める。吸うてるとこ見つけた人には1万円あげる』って宣言して、帰りの車で吸うてはりました。僕に1万円くれました。そういう正直な人です」

桂わかば

「喜怒哀楽の激しい方で、大人やのに子供のように子供のように怒ったり。落語はやってるところを見て取れということでしたが、お酒や遊びは死ぬほど教わった。40~50代の頃のお酒の飲み方が激しくて、左目をつぶったら、次の朝何も覚えてない。よく米朝師匠の話をしてくれて『芸は人なり』と。落語は技術もあるけど、しょせんは人間性やと。あるとき、夜中に新御堂で暴走族に絡まれて、今まで『人間性やで』と言うてた師匠が『わかば、ひき殺せ』と。どっちやねん。そんな師匠が大好きでございました」

桂力造

「私が思い出に残っているのは、初めてのお稽古で『子ほめ』を教えていただいたとき。私も疑問に思ったことを聞こうと思って、『師匠、子ほめの主人公は何歳くらいの設定でやっているんですか?』と聞いたら、『そんなこと言うやつ、大嫌い』と言われました。それ以来、質問することを止めました」

桂米之助

「『人生に無駄なことは1つもない』と。ですから、ええことも悪いこともいっぱいやっとけば、いずれ落語にプラスになって返ると教えてくださった。それをご本人が実演されてた。悪いことの方が多かったですけど。その教えに従って、私も挑戦していきたい」

桂惣兵衛

「ざこば師匠と2人きりの時に目を見つめられて、『(前名の)そうば、好きやで』と。私、一応結婚してまして、子供がいるんですけど、最近は嫁にも娘にも嫌われ、私のことを好きだと言ってくれたのはざこば師匠だけ。師匠が亡くなられて2年が経ちますが、病田氏は今後、病めるときも健やかなるときもざこば師匠を愛し続けることを誓います」

桂あおば

「僕は師匠に見つめられて『しばきあげんぞ!』と言われました。

桂りょうば

「師匠は売れっ子。東京のお仕事から新幹線で新大阪に帰ってきて改札を出ようというときに『あれ? 切符がない』と。駅員さんに説明して、いったん東京から新大阪までのグリーン車の料金を払ってもらって、後でチケットが見つかったら返金いたしますということで、師匠も帽子をかぶってうんうんと聞いてたんですが、駅員さんが『ざこばさんですか?』と気付きはって。『ざこばさんですか…どうぞ』と。ざこばさんがそんなことするわけないと、駅員さんの粋な計らいですごいなと。僕やったら、東京から乗ってても『京都から乗りました』というタイプの人間。一刻も早く、師匠のような人間になりたい」

弟弟子からもエピソードが語られた。

桂八十八は、師匠の米朝さんのお見舞いに向かう際のざこばさんの思い出を披露。2人でたこ焼きを買って病院に向かったはいいが、ざこばさんは「今から行ってもええやろうか」と終始落ち着かない様子で、「ちゃーちゃん(米朝さん)はたこ焼き好きやから、喜んでくれるな。でも、そうなると、俺がたこ焼きに負けてしまうやないか」とセルフツッコミまで繰り出す始末。八十八は「どういえばええんかわからんかった」と苦笑していた。

「私が1番長い付き合い」という桂米團治は生まれたときからの付き合い。米朝さんの弟子は家に住み込みをしていたこともあって、「最初は枝雀さん。その後、朝丸だったころのざこば兄ちゃん。僕が幼稚園の年中の頃。よー遊んでくれはりました。枝雀さんとの思い出はあまりないんですよ。ずっと落語の稽古してたから。ざこばさんはよー遊んでくれた。イヤって言うほど」と楽しそうに話し、その光景が目に浮かんだ。「『自転車乗せたる』言うて、私の弟を荷台に乗せて、後輪に足を挟んで骨折させて。米朝から『お前な、そんな荷台に子供を乗せるやつがあるかい』って言われたんで、ざこばさんはハンドルとサドルの間にいすをひっつけてくれはって『ここに乗り』って。『面白いやろ~』って乗せてもらってたら、急ブレーキをかけたときにハンドルの真ん中のところに頭をガーンってぶつけて血がダラダラ。あのときのざこばさんの言葉はいまだに覚えてます。『お前な、家に帰ったらな。自分から電信柱にぶつかったって言え』。よー、生きてきたと思います」と続けて、大爆笑を誘った。

締めは筆頭弟子の塩鯛。21歳で入門し、ざこばさんとは年齢も近かった。

「若いときに仕事も増えて、生意気ではございますが外車に乗ってたことがありまして。でも、師匠は外車が大嫌い。妻の家の前に止めて、みんなでお酒を飲んでたら、師匠が片目がつむりだして訳の分からんことを言い出してね。『このガキ、外車なんか乗りやがって』と表に出ていって、私の車のフェンダーをバーン。ボコーンとヘコんで。次の日、電話がかかってきて、『兄ちゃん、昨日なんかあった?』。何にも覚えてへん。『弁償させてもらうわ。ざこばの会って勉強会にストックなんぼかあったやろ。あれから出しといて』って。そういう師匠でございます」

エピソードはまだまだ続く。

「私はいい弟子じゃなかった。修行中、女の子と同棲してまして。こんなもんバレたら破門。『電話にもでも出るなよ』って言うてたんですけど、あるとき、師匠の奥さんから電話があって、こともあろうに女の子が出よった。次の日、破門やと思って土下座したら、師匠はニコニコしてる。『お前、何泣きそうな顔しとんねん。水くさいやないか。そんなこがいるんやったら紹介せんかい。いっぺん連れてきなさい』と。あのむちゃ者のざこば師匠の言う言葉じゃございませんでしょ? まさかこんな心の広い素晴らしいお方やなと。そのときに私は一生ついていこうと思った次第。そのときの彼女が今の嫁さんでございます」

どのエピソードもおもしろおかしく、かつざこばさんへの愛情があふれていた。塩鯛は「本当にお世話になった大好きなお師匠さん。むちゃなことばっかりやってた師匠ではないということを皆さまに分かっていただきたいとこのエピソードを披露しました」と締めくくった。

ざこばさんもきっと天国で大好きな米朝さん、枝雀さんらと一緒に、「あいつら、好き勝手言いやがって」と目を細めていたに違いない。【阪口孝志】