映画「君の名は」などで知られる女優の岸惠子さんが8月7日に老衰のため死去した。93歳だった。19日、所属事務所の公式サイトで発表された。葬儀は近親者のみで執り行ったという。
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岸さんの訃報を、94歳の母親に会いに行く車の中で聞いた。母に会って、その事を告げると年老いた母親は「真知子巻き」と口にした。第2次世界大戦の記憶が濃く残る世代は「君の名は」は真知子巻きの岸さんがヒロインだった。それより30年若い記者の「君の名は」のヒロインはNHK朝ドラで鈴木京香(58)。そして現代の若者の「君の名は」は、新海誠監督のアニメ映画だ。
そんな歴史上のヒロインである岸さんに接したのは4年前のことだった。イベントプロモーターの知人から、岸さんが「岸恵子 スペシャルトークショー『いまを生きる』」を開くからインタビューをという依頼だった。
コロナ禍の余波とスケジュールの都合で、インタビューは小さな会見になったが、当時89歳の岸さんは「私の最後の舞台になると思う」と意気込みを語っていた。
1967年(昭42)に渡仏。00年(平12)に帰国するまでパリに住んだ岸さんは「空飛ぶマドモアゼル」と呼ばれ、日仏で仕事をこなした。「私が映画界で活躍してた時と世の中がガラリと変わってしまった」と振り返った。
ロシアによるウクライナ侵攻については「ウクライナのゼレンスキー大統領は、素晴らしいじゃないですか。私はソ連人も知っています。何も分からずに戦いに借り出されて、死んでいくのはすごく悲しいことだと思う。ウクライナ人もソ連人も好き。その中で、日本はどうなるんだろう。世界状況が分かっていて、分析もできるけど、外に出て行かない」と話した。
そして「(このトークショーは)私の最後の舞台になると思うので、私のギャラをウクライナの難民に寄付したいと思います」と平和への思いを語った。結局、ギャラは「国境なき医師団」に寄付された。
会見の場所になったのは東京の原宿。1人住まいの横浜から出てきた岸さんは「時代は変わりましたね。誰も私に気がつかない」と笑った。健康法について「寝たいだけ寝ている。字を書けなくなったので、物を書く時はパソコンで書いてます」と言って、驚かせた。
その後の8月30日、記者の61歳の誕生日に東京・新宿文化センター大ホールで開かれた「岸恵子 スペシャルトークショー『いまを生きる』」を見に行った。 黒いシックなドレスの岸さんはイケメン2人にエスコートされて登場して「私の孫のロスコとジャクソンです」と紹介。フランス人映画監督イブ・シャンピとの間の1人娘デルフィーヌ=麻衣子さんの息子2人だった。
61年には岸さん自身が企画を進めた日仏合作映画「スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜」をシャンピ監督で制作、岸さんも出演した。「ロシアのいろいろなところに行きましたが、みんないい人ばかりでした。ウクライナの人もいい人ばかり。その人たちが殺し合いをしている。この戦争はいつになったら終わるんでしょうか。日本の人にも、もっと世界に出て行って主張してほしい」と話した。ギャラをウクライナではなく「国境なき医師団」に寄付したことについて「そのお金がウクライナの弾丸になったら嫌だから」と理由を口にした。
そして「今は、昨日の歴史の上にある。昨日の続きが今日。今を一生懸命生きなきゃ、明日がない。今を一生懸命生きることで、いい明日がある。これからも短いかもしれませんが歴史をつくっていきたいですね」とほほ笑んだ。トークショーの終わりには、ロビーで自分の作った小雑誌を自ら手渡しで配った。90歳になったばかりの歴史的ヒロインの元気な姿と、ざっくばらんな姿に居合わせた者たちは皆、感動した。
あれから4年、新たな歴史を積み重ねて岸さんは亡くなった。平和を願ったロシアとウクライナの戦争はまだ終わっていない。ご冥福をお祈りします。
【小谷野俊哉】
◆岸恵子(きし・けいこ)1932年(昭7)8月11日、横浜生まれ。1951年(昭26)に松竹専属となり映画「我が家は楽し」で女優デビュー。53~54年「君の名は」3部作、54年「女の園」が大ヒット。55年「亡命記」で東南アジア映画祭最優秀主演女優賞。57年フランスの映画監督イヴ・シャンピと結婚して渡仏。60年映画「おとうと」でブルーリボン主演女優賞。61年映画「黒い十人の女」。72年映画「約束」。75年離婚。83年映画「細雪」、エッセー「巴里の空はあかね雲」で文芸大賞エッセー賞。00年日本に帰国。01年映画「かあちゃん」で日刊スポーツ映画大賞、日本アカデミー賞主演女優賞。04年旭日小綬章。11年フランス政府から芸術文化勲章コマンドール授与。21年「岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない」。