<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>
1987年(昭62)からの8年間、トップアイドルとして密度濃く活躍したのが光GENJIだ。デビュー記念日の8月19日からその楽曲の配信がスタート。40周年となる来年のこの日まで、1年間かけて全曲が配信される。
元リーダーの内海光司(58)は先日のインタビューで「例えば『勇気100%』は後輩たちに歌い継いでもらっているけど、あれが光GENJIの曲だということを知らない人がけっこういます。光GENJIの楽曲は僕らにとってもファンの人たちにとっても宝物じゃないですか。それを眠らせておくのは本当にもったいないとずっと思っていました」と積年の思いを明かした。
「サブスク(配信)のスタートを最初に知らされたのは事務所(スタートエンターテインメント)に残った佐藤アツヒロと僕だったと思うのですが、思いは同じだった。そろって笑顔になりましたね」と素直に喜んだ。
彼らが活躍した時代にサブスクやSNSは無く、その発信は中心はテレビの音楽番組だった。
「デビュー曲の『STAR LIGHT』を生放送の『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)で初披露した時のことをよく覚えています。あれを境にどこに行ってもファンの人に囲まれるようになり、電車に乗れなくなりましたね。テレビの力ってすごいなあ、と思いました」
当時はこの「夜ヒット」に加えTBS系の「ザ・ベストテン」、日本テレビ系の「歌のトップテン」と各局の音楽番組が高視聴率を競い合っていた。
「今みたいに整然とした感じじゃなくて、公開番組では司会の人の声がまったく聞こえませんでした。コンサートでも席に着いているファンはいなくて、みんなステージの前に押し寄せましたからね」と当時の熱さを振り返った。
その頃、テレビ朝日系の「ミュージックステーション」は後発番組として苦戦していた。実は「Mステ」躍進の原動力となったのが光GENJIだ。88~92年の「Mステ」に実質レギュラー出演。総出演回数は234回に及んでいる。今も続く「Mステ」の礎を築いた存在であり、文字通り音楽番組の申し子だった。
「初めて『夜ヒット』に出演した時から、急に窮屈になった気もしましたね。当時乗っていたオートバイは禁止されましたし、会社からはあれはダメ、これはダメ、と。それでもSNSとかないし、今に比べればまだまだ自由だったかもしれません」と、懐かしむように言った。
4人組やソロも多かった当時の事務所で、7人組は規格外の大人数だった。年長の「光」と若い「GENJI」が合体するスタイルも新しかった。そしてローラースケート…。SMAP以前の開拓者的な存在だった。40周年を目指した配信は、25枚のシングル、15枚のアルバムをそれぞれの発売日に配信スタートするという。8年の活動期間を凝縮した、ファンにとって密度の濃い1年となりそうだ。【相原斎】