映画監督の成島出さんが、亡くなった。映画の現場、業界の行事などで幾度も顔を合わせ、あいさつするたびに満面に笑みを浮かべ、その際に口元からのぞく歯が印象的だった。忘れられないのが、吉永小百合(81)が初めてプロデューサーを務めた14年の「ふしぎな岬の物語」、吉永と2度目のタッグを組んだ21年「いのちの停車場」、この2作の監督作の製作、公開にまつわる、一連の取材での成島さんの言動だ。
「ふしぎな岬の物語」は、吉永が08年の主演作「母べえ」(山田洋次監督)などの撮影を手がけた撮影監督の長沼六男氏(81)を通じて、成島さんが自らの主演作を監督したいと熱望していると聞き、対面したことが製作のきっかけだった。意気投合して映画をともに作ろうと決意し、数年かけて数十本の小説を読む中、原作の「虹の岬の喫茶店」(幻冬舎)を見つけ、吉永は優しく温かい作品性に心打たれた。
吉永は、12年12月28日に東京・ホテル・ニューオータニで開催された日刊スポーツ映画大賞授賞式に「北のカナリアたち」(阪本順治監督)で主演女優賞受賞者として登壇。その席上で、成島さんに原作「虹の岬の喫茶店」の作者・森沢明夫氏(56)を紹介し、同作を読むよう勧め、その後、2人で納得した上で映画化を決めた。翌13年12月18日に都内で開かれた製作発表でも製作の経緯が説明され、終了後、成島さんに声をかけると「縁がありますね。公開まで、たくさん書いてください」とリクエストされ、ロケ含め、公開まで取材を続けた。
それから6年9カ月後の20年9月。都内の東映東京撮影所で行われた「いのちの停車場」の撮影現場会見の席上で、成島さんは17年に肺がんの告知を受け、1年以上に及んだ闘病生活を乗り越えたこと、原動力は吉永と再び映画を作りたいという思いだったと告白した。「実は肺がんになりまして、闘病で1年以上、現場から離れた。入院して闘っている時に、吉永さんから、がん封じのお守りと励ましのお手紙を頂いた」と明かした。「本当に、涙が出るくらいうれしくて『必ず良くなって、もう1度吉永さんとやるぞ、お仕事をご一緒するぞ』と1年以上、闘病したら、このお話を頂いた。本当に夢はかなう、願いは届くんだなと感動したのがスタートでした」と切々と語った。話を聞いていた吉永は涙し、涙をこぼさないようにするためか、何度もスタジオの天井を見上げていた。
「いのちの停車場」は、終末期医療専門病院に勤務する医師で作家の南杏子氏の同名小説を原作に、長寿社会における現代医療制度の問題点や尊厳死、安楽死に正面から向き合った作品だ。吉永は大学病院の救命救急医だったが、とある事情で石川県の実家に戻り、在宅医療を行う「まほろば診療所」に勤務する白石咲和子を演じた。成島さんは「シナリオの話をさせてもらった中で、吉永さんの方から生と死を見つめた時に、人本来の明るさ、持っている力…死をテーマに描く一方で、どう、生きていることを描くか、というのが大きなテーマだと(言葉があった)。僕も思っていたんですが」と語った。
話を聞いていて、肺がんで闘病した成島さんが今、どういう心境で語っているのかと考えずにはいられなかった。会見から、少し期間を置いて、よそで成島さんと会った際に「お体、お加減はいかがですか?」と尋ねると「1年以上、現場に立てなかったですからね。これからは、どんどん撮っていこうと思うので、取材してください」と言われた。「良いお話があったら、連絡、待っています」と返した。
その後、成島さんは、23年に役所広司(70)主演の「ファミリア」「銀河鉄道の父」、24年には杉咲花(28)と初タッグを組み「52ヘルツのクジラたち」を製作、公開した。製作の第一報の解禁をしたり、舞台あいさつも取材した。24年2月に都内で行われた「52ヘルツのクジラたち」の完成披露試写会後に、あいさつしたが、それが成島さんと顔を合わせた最後になった。
成島さんは、それほど言葉数は多くなく、自身のことを、ことさらに語ることはなかったが、とにかく映画の現場が大好きだ、ということを、少年のようにキラキラした目で語っていた。また、自身の監督作については、まるで子どものように慈しみ、可能な限り惜しみなく語ろうとする監督だった印象がある。映画業界の現状についても、話したことがある。どこかで、またお話ししたいと思っていた矢先の訃報(ふほう)…残念でならない。【村上幸将】