水谷八重子さん死去 「良重」でデビュー 「歌舞伎と新派のサラブレッド」、95年に二代目襲名

水谷八重子さん(C)松竹

劇団新派の女優、水谷八重子(みずたに・やえこ)さん(本名・松野好重)が8月28日に都内で肺炎のため亡くなったことを同31日、松竹が発表した。87歳だった。葬儀・告別式は近親者で執り行い、後日お別れの会を開く予定だという。

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水谷さんは、1939年(昭14)東京生まれ。父は歌舞伎界の名門・守田勘彌(十四代目)、母は初代水谷八重子という「歌舞伎と新派のサラブレッド」として注目をあびた。55年、16歳の時に歌舞伎座で行われた新派公演「相続人は誰だ」「八月十五夜の茶屋」で水谷良重を名乗り初舞台。同時にジャズ歌手としてもデビューした。ハスキーで洗練された歌声は人気となり初期のNHK紅白歌合戦に4回出場した。その後、日本テレビ系バラエティー番組「あなたとよしえ」で司会を務めるなど、若くしてお茶の間でも人気者となった。

高いスター性と親しみやすさから、二つの「三人娘」の一角を担った。「テレビ創成期」における初代「テレビ三人娘」。黒柳徹子、横山通乃とともにバラエティー番組やドラマで活躍、テレビ創成期に新しいメディアの魅力を全国のお茶の間に届けた。二つ目は「七光り三人娘」。日本画家の伊東深水の娘、朝丘雪路と洋画家東郷青児の娘の東郷たまみと「七光会」を結成。ステージで「ホワイト・クリスマス」などを披露し一世をなびかせ風靡(ふうび)した。

活躍の場は映画にも広がった。57年の映画「青い山脈」や「座頭市物語」「悪名シリーズ」など名作へ次々に出演した。舞台だけでなく、テレビ、ラジオ、映画、70年代後半には日刊スポーツで競馬コラムを連載するなど幅広く活動しマルチタレントの先駆けでもあった。

一方で、新派女優としても演技や存在の深みを増していき、「滝の白糸」「祇園の女」などの大役を好演。78年には菊田一夫演劇賞、88年に松尾芸能賞大賞、92年に芸術選奨文部大臣賞を受賞するなど新派の看板女優として実績を残した。

79年に母の初代水谷八重子が死去。95年に二代目水谷八重子を襲名した。新派の伝統を守るだけでなく、朗読劇にも力を入れ、瀬戸内寂聴さん訳の「源氏物語」ライブや、樋口一葉の「大つごもり」の定期上演は、ライフワークとして高い評価を得ている。

近年は、2024年10月に急死した西田敏行さんの後任として日本俳優連合の第6代理事長に就任していた。最近まで活動しており、今年3月には新派・松竹新喜劇の合同喜劇公演の記者会見に出席、舞台も出演予定だったが、体調不良のため休演すると4月に発表されていた。最後の舞台は、昨年2月の南座での二月新派喜劇公演「三婆」の富田駒代役だった。

◆水谷八重子(みずたに・やえこ)1939年(昭14)4月16日、東京都生まれ。父は歌舞伎俳優十四代目守田勘彌、母は新派の女優初代水谷八重子。55年、水谷良重の名前で初舞台。舞台、ドラマ、映画などで幅広く活躍。歌手としてNHK紅白歌合戦出演経験も。59年にジャズドラム奏者の白木秀雄と結婚も63年に離婚。95年、二代目水谷八重子を襲名。01年紫綬褒章、09年旭日小綬章。長年にわたり新派を率いている。

▽波乃久里子(80=同じ劇団新派で活躍)「おねえちゃまに初めて出会ってから66年…家族よりも長く本当の姉妹のようにたくさんの喧嘩もしました。なのに一旦舞台に上がると阿吽の呼吸…後にも先にもこれはおねえちゃま以外にはいないと思ってます。初めて先生(八重子さんのお母さま)にあった時、天女のようなその美しさに驚いたけど、最後におねえちゃまの顔を見た時さすが先生の娘…本当に美しかった。面と向かって1度も言ってないかも知れない。お疲れさまでした。本当にほんとうにありがとう…」

▽黒柳徹子(93=番組で多数共演)「まだ水谷良重さんだった頃、NHK『若い季節』という生放送の番組などでご一緒していました。若い頃から本当に楽しく一緒に過ごし、生放送時代をともに駆け抜けた大切な仲間でした。その頃の私は、良重ちゃんのお母様が、あの初代水谷八重子さんだということも知らなかったのです。後に新派のお芝居を拝見した時、お母様がわざわざ私のところへいらして『いつも良重がお世話になっているから』と食べ物を持ってきてくださって、その時初めて知り、本当に驚いたことを今でもよく覚えています。大切な仲間がまた一人いなくなってしまい、本当に寂しいです」