劇団新派の女優、水谷八重子(みずたに・やえこ)さん(本名・松野好重)が8月28日に都内で肺炎のため亡くなった。松竹が31日、発表した。87歳だった。葬儀・告別式は近親者で執り行い、後日お別れの会を開く予定だという。
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今から42年前、1984年(昭59)8月の夜のことだった。当時、大学4年だった記者は、芸能人マンションとして知られる、東京・文京区小日向の川口アパートでフロントのバイトをしていた。当時は就職活動の解禁は10月だった。大学のサークルの先輩から受け継いだもので、豪華マンションのホテルのような受付で郵便物を受け取ったり、タバコを売ったり。昼間は、ちゃんとネクタイを締めたおじさんがいて、学生バイトは夕方から朝までの泊まりのバイト。夜になれば控室に入って、よっぽどのことがなければ、声をかけられることはなかった。
そんな8月のある日の夜、控室に引っ込んでいると「すみません」と男の人の声がした。出てみると、目がギョロリとしたきれいな顔の男性がいた。困り切った顔で「実は駐車場で車をぶつけちゃってね」と説明した。「どちらの部屋ですか」と尋ねると、男性は「松野です」と名乗った。
松野というのは、当時は水谷良重さんの本名だった。「警察を呼びましょうか」と言うと、男性は困りきっていた。管理会社の社長に電話をしたのか、処理の仕方は忘れたが、これが騒動の始まりだった。
男性の正体は、初代尾上辰之助さん。人間国宝、尾上松緑の御曹司の人気歌舞伎俳優だった。あとから分かったが、当時37歳の辰之助さんは、8歳年上の水谷さんと付き合っていた。この日、水谷さんが駐車場内で交通事故を起こし、その後にマンション2階の自分の部屋から飛び降りて左足小指を骨折していた。
水谷さんはバツイチだったが、辰之助さんには妻子がいた。不倫の関係で、2、3日後にフロントにいると、芸能リポーターの梨元勝さんが「恐縮です」と言いながらやって来て、あれこれと確認していった。当時は、後に芸能記者になって世話になるとは知らずに「ウワ~ッ、梨元勝がきちゃったよ。本当に『恐縮です』って普段でも使っているんだ」とか思いながら応対した。
騒動から5日後に会見した水谷さんは「大人の関係です」と堂々の交際宣言をした。当時も今も、妻子ある男性との交際は、女性に対して風当たりが強い。大きな話題となって、世間を騒がせた。
それから1カ月ほどたって、フロントにいると水谷さんがやって来た。当日の当番が記者だったことを聞いていたのだろう。あのハスキーでセクシーな声で「この間は騒がせちゃってごめんなさい」と謝ってくれた。
その後、良重さんは母の初代水谷八重子さんの名前ついでを継いで、新派の重鎮として日本の演劇界を支えてきた。
記者はあの騒動の翌年に就職して、先月65歳の誕生日を迎えてサラリーマン生活に終止符を打った。会社の名前の入った首輪を外して野良になったが、相変わらず芸能記事を書いて飯を食っている。あれから42年、ついに水谷さんを直接取材することはなかった。冥福を祈ります。【小谷野俊哉】