森本レオさん「本当はあまりいい声じゃないんです」「本業フーテン」明かした本音/インタビュー

森本レオさん(2017年撮影)

俳優でナレーターとしても活躍した森本レオ(もりもと・れお、本名治行=はるゆき)さんが9月4日、死去した。83歳だった。森本さんのマネジメント担当者が11日、発表した。日刊スポーツでは2001年4月に森本さんのロングインタビューを掲載しました。あらためて配信します。(年齢などは掲載当時のまま)

 

アルバイト感覚で始めた俳優業が、今年で30年になる。森本レオ(58)。演技だけでなく、メルヘンチックな独特の語り口でナレーションなどにも引っ張りだこだ。今風に言うと“癒(いや)し系”ボイスといったところ。「本業フーテン」を自称する根っからの遊び人間だが、30年を機に、その声を生かし自ら絵本ビデオをプロデュースする。子供たちに伝えたい「早めの遺言状」という。

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昨年「ショムニ」「ストレートニュース」など4本の連続ドラマに出演した。主役ではないが、欠かせない名バイプレーヤーとして引っ張りだこである。“俳優然”とした人かな、という先入観はすぐに消えた。無精ひげに緑色のトレーナー。ラフなスタイルで現れた森本は、ほんわかとした雰囲気で、肩に全然力が入っていない人だった。

今年で上京してちょうど30年になる。感想を聞くと「多分、僕ほど幸せな芸能人はいないんだろうな」と素直な答え。もっとも意味合いは、こちらの想像と、ちょっぴり違う。「無理して生き残ろうとしてもしょうがないし。ダメだったら転職すればいいや」と思い続けた30年だった。

「俳優仲間などに『主役になれなくていい。森本レオになりたい』と言われるんです。(明石家)さんまさんも言ってましたもん。『一番ひきょうやで』って。確かにおれはひきょうだって答えましたけど(笑い)。オイシイ俳優生活してます」。俳優に執着していないのか、がむしゃらにやっていない。主役や役柄にこだわるわけでもない。それなのに、ドラマやCMに欠かせない存在として、不動の地位を築いている。「森本レオになりたい」は、そんなところから出た半分やっかみの声なのである。

お仕事は、と問われると、俳優ではなく「本業フーテン」と答える。「以前、税務署へ確定申告に行ったとき、職業欄に『観客』って書いて出して怒られたことがあるんです(笑い)。説明したんですよ。『本当に運がいいだけなんです。出演は仮の姿でいずれ観客に戻るんです』って。そしたら『それはヘ理屈だ。あんた役者なんだから』って言われて。で書き直させられたんですけど、そしたら『俳優』って漢字が書けなくて『どんな字でしたっけ?』って聞いて、危ないヤツだと思われましたね(笑い)」。

30年前、名古屋から上京した後もロクに仕事をしなかった。「マージャンで仕事に遅刻するの平気でしたから。5円、10円の安いマージャンやって、高い仕事を逃したのいっぱいあります(笑い)。役者としては向いてないって思ってたから。仕事なんて、どうせダメなんだからいいやって気持ちがあって」。時折来る仕事も、収録では現場泣かせだった。「台本通りにセリフを覚えて台本通りにしゃべるって恥ずかしかったから、ちょっとずつ自分の味付けしちゃうんです」。「生意気だ!」と怒られることもしばしばだったが「それじゃ、行きたくねえや」とゴネた。

もともと脚本家志望だったことも原因した。大学の卒業論文もシナリオだった。「上京して、制作者に『こういうのを書きたい』って言うと乗ってくれるんですけど、1本1万円までって言うんです。『君は可能性あるから色つけて1万5000円』って。でもその打ち合わせで使った銀座のスナックの支払いが4万5000円(笑い)」。

そんな矛盾した構図に「それはおかしいだろ!」と思い悩んでいたときだった。「知り合いから『アルバイトで役者をやればいいじゃないか』って言われて。だから最初役者はアルバイトだったんです。そしたら1本4万5000円くれたんですよ。たった2日の撮影で。僕ってシナリオ書くの遅いから1本書くのに1カ月かかっちゃうんですよ。どうやったって役者の方がいいじゃないですか。ダメですね。なまけものですから。役者の方がいいやと。ネエちゃんにももてるし」。俳優森本レオは、こうして誕生した。

本格デビューは1972年(昭47)のTBS「地の果てまで」だった。主演の近藤正臣(59)の友人役だった。「ディレクターがおもしろいって使ってくれたんですけど、セリフ通りに言わないし、動きは毎回違うし。結局時間がないから監督が怒りながらもOKって。そういう頑固さはありましたね」。ある日、名優の故宇野重吉がラジオドラマで「そうは読めん」と繰り返し降板した話を聞き、急に楽になったという。「無理して生き残ろうとしてもしょうがない。ダメだったら転職すればいい」の思いだった。それから30年、森本のある種独特なスタイルは、そんな余裕から確立されたのだろう。

優しく、メルヘンチックな癒し系の声を生かし、ナレーターや声優としても活躍している。インタビューのこの日、風邪気味だったのだろう。噴霧式せき止め薬を手にしていた。何げない「声」への気配りを感じるが、本人は意外にも自信がないという。

「よく声でほめられるんですが、『いい声だ』って言われる度に何か後ろめたい思いがあるんです。自分でバラすと自殺行為かもしれませんが、本当はあまりいい声じゃないんです。アナウンサーの人から見ると、落第の声らしい。日本語ってふつう歯の裏に舌を当ててしゃべるんです。でも僕は歯の裏よりのどの奥に舌が当たっちゃう。それで『フアン』とした声になっちゃうんで、どうしてもかつ舌が悪い」。

18年前、詩人で劇作家の寺山修司さん(享年47)が肝硬変による腹膜炎で亡くなったときに禁煙した。もちろん体調を気遣ってのことだが、それで声がよくなったという実感はない。「手入れ? 逆にうかがいたいくらいで(笑い)。声使ってる人を見ると恥ずかしげもなく『どうやってキープしてるんですか?』って聞いちゃいますね。みなさん『塩水でうがいする』とか『ネギで湿布する』とか言うんで、よしやってみようって思うんですが、結局何もしてないんですよね」。

声のルーツは四国出身の母親の子守歌にある。働き者の母親が、暇を縫ってクーラーのなかった暑い日、子守歌を歌ってくれた。「それが四国風のメロディーで、少し節が伸びて、ビブラートしてくんですね。おへんろさんのメロディーに似てるんです」。実際に「ぼ〜や〜は、よい〜子〜だ〜」と歌ってくれた。メロディーがゆったりとして、それぞれの節が伸びるのが特徴だ。「その節が年を取るごとによみがえってくるんです。ある日、ナレーションしながら『オフクロのメロディーだ』って思った瞬間もあって、ゾーッとして。いい声じゃなく、声という道具を使って、オフクロの文化を再現しているんだなって」。懐かしむように、また「ぼ〜や〜は……」と歌った。

自分の声に、母の子守歌のメロディーを感じたからかもしれない。自分も次代に、何が残せるかを本気で考えるようになった。

「子供がやるべきことは、親の文化をなぞって、育てていくことなんだなって気がする。上京して30年。大人なんだから、親の文化にばかり甘えてないで、今度はそれをだれかに渡さなければならない。何か僕も伝えられる場所をつくっておきたい。だれかの言葉で『人は1冊の物語である』ってフレーズがある。父と母の物語を子供が受け継いでいく。それが親子ってシステムだと思う。気が付いたら僕も大人だし、自分にも物語があるはずで、それを何らかの形で残していかなきゃバチが当たるだろうな、と思った」。

森本がプロデュースした絵本ビデオ「れおんじ村のメルヘン畑」(4月21日発売)が、それである。独特の声で「ずーっとずっとだいすきだよ」「どうして そらは あおいの?」「100万回生きたねこ」の3編を紙芝居風に読み上げる。ナレーション、企画、構成、カメラ助手、録音助手まですべて担当した。本業フーテンの森本が次代のために血痰(けったん)を吐き完成させたという力作だ。「物語をメルヘンという形で残して、それを受け取ってもらえれば、とてもありがたい」と語る。

1男1女の父親でもある。放任主義のようにも思えるが、親として伝えたいことは壮大だ。「うちは家族といっても親しい隣人。地球の命が39億年前に生まれたとしたら、39億年の旅をしてるわけですよね。子供たちは僕の1つ先の駅なんだから、おまえらはおまえらで自分の駅を育てろよって。自分の遺伝子は自分で磨けって言ってます」。

俳優業を続けながら、余裕があれば、今後も子供たちに伝えるものを、いろんな形でつくっていこうと決めている。「今回の絵本ビデオは、早めの遺言第1号みたいな感じですかね」。そう言って、照れ笑いを浮かべた。