お笑いタレント松村邦洋(59)が4日、文化放送「生島ヒロシの日曜9時ですよ~」(日曜午前9時)にゲスト出演した。
パーソナリティーの生島ヒロシ(75)は、昨年1月から今年3月までコンプライアンス(法令順守)違反で芸能活動を自粛した。「実はですね、復帰が決まった途端に我が家にいの一番にね、蘭(らん)のお花を贈ってくださったのは、まっちゃん。本当にまっちゃん、うれしかった。まっちゃんは、ずっと心配してくれてね」と振り返った。
松村は「胡蝶蘭か、もう伊藤蘭かっていうぐらいね。もう本当に辛抱しましたからね。もうマラソンの時と一緒ですよ。もう心配でね、心肺停止になりましたから」と2009年(平21)の東京マラソンで急性心筋梗塞で倒れ、一時心肺停止状態となったことをネタに笑わせた。
生島は「ほんと、よかったですよ。(神田)伯山先生から、ナイツさんからイジってくれて、皆さんが聞いてくださるんで本当にありがたいなと思いました」。
生島は、昨年1月まで26年10カ月にわたりTBSラジオで平日の朝にパーソナリティーを務めたが活動休止。今年4月から「日曜--」で仕事復帰した。松村は「赤坂(TBSラジオ)から、こちらの浜松町(文化放送)に移動されてもね、国替えってなりますから。もう長宗我部から山内家に変わるようなもんですよね、これもう歴史」と、得意の歴史で戦国期に土佐の領主が長宗我部家から山内家に変わったことになぞらえた。
松村は高校2年から3年に上がるときに留年。「みんなから落第少年なんて言われましたけど、落第じゃないんだと、留まってんだと。あの時代って校内暴力とかあって、2年生の時に先生に『学校辞める』って言ったらね、『バカ野郎。高2の夏は2度と来ないんだ』つったら、留年したんだよね。高2の夏が2回来ちゃった。修学旅行、2回行きました」と笑った。
当時の松村は、学内でモノマネで人気者だった。「モノマネのお客さんがね、入れ替わった。やっぱ前のネタで飽き飽きしていた3年と付き合いをやめて、新しい2年。客が入れ替わったらね、前のネタが通用するんですよ。学校の先生のモノマネが非常にウケてました。学校の先生のモノマネ、完璧でしたね。もう20人いたんで、職員会議1人でできていました」。
阪神OB川藤幸三のモノマネも得意だ。松村は「藤川球児監督がいらっしゃるんですけどね。僕も記者バッジはあるんですけど、やっぱりグラウンドのね、ベンチってなかなか入れないんですよ。そうしたら川藤さんが『まっちゃん、お前、ベンチで藤川監督から、いろんな取材してなんでも聞いてええんや』って。藤川監督に直接取材ってね、できないですよ、普通。川藤さんが『わしがええ言うんやから、おめえ、ここ座って取材せえ』って。藤川監督も、いろいろと阪神の状態を細かく教えていただきましたよ、ずっと。それで僕、ベンチ入れるんだと思ってね。次の日もね、ベンチ入ろうとしたらね、『すいません。ここはOBじゃない方あんま入れない』。川藤さんがいないと難しかったです」と振り返った。