作家の村上龍さんが17日に横浜の自宅で亡くなったことが23日、分かった。74歳だった。葬儀は家族葬として、すでに執り行われている。村上さんの作品を出版していた幻冬舎が発表した。記者が生前のエピソードを交え村上龍さんを悼みます。
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長崎県佐世保出身の村上さんは武蔵野美大在学中の1976年(昭51)に小説「限りなく透明に近いブルー」で作家デビュー。生まれ故郷の佐世保と同じ基地の街、東京・福生の米軍キャンプを舞台に退廃した若者の姿を描き出して群像文学賞、芥川賞を受賞した。同作は79年に村上さん自身が脚本、監督を務めて映画化された。
村上さんは、80年に「コインロッカー・ベイビーズ」、83年に「だいじょうぶマイ・フレンド」、87年に「69 sixty nine」「テニスボーイの憂鬱(ゆううつ)」と話題作を立て続けに発表した。作家として常に新しい時代を切り開いていた。
その一方で、村上さんはTBS系の日曜深夜のトーク番組「Ryu's Bar気ままにいい夜」で87年10月から3年半、ホストを務めた。無口でこびを売らない村上さんと、ゲストのやり取りがバラエティーのネタにされることもあった。それでも、村上さんは自分のスタイルを崩さず、押し通していた。
そんな村上さんの素顔に接することがことができたのは、今から20年ほど前のことだ。故郷・佐世保のテーマパーク、ハウステンボスでイベントが開かれ、そのメインゲストが村上さんだった。
広いホールでの前夜祭的な食事会があって、中央の席に位置した村上さんは「Ryu's Bar」で見せていたような、ニヒルなたたずまいであいさつに来る人に応じていた。食事も終わり、酒が進むと酔った勢いで村上さんに突撃する人間が増えてきた。地元のおじいさん、おばあさんも“オラが街の生んだ大作家村上龍”の元にニコニコしながら「俺は子どもの時から知ってるんだ」という感じで大きな声で話しかけていた。
更には村上さんの高校時代のバリケード封鎖などを描いた自伝的小説「69 sixty nine」の登場人物たちが現れた。中学、高校の同窓生たちは、村上さんに握手を求め、抱きついて、なんだったら背中をドンドンたたいてまくしたてた。それでも、村上龍は村上龍だった。かっこいい笑顔を浮かべながら、歓待していた。
村上さんの隣にずっといて、ボディーガード役を務めていたのが、06年4月から始まったテレビ東京系「日経スペシャルカンブリア宮殿」の放送作家だった。東京・新宿二丁目の行きつけのマスコミ御用達バーでの顔なじみだ。笑顔を浮かべて旧知の友人、知人を歓待する村上さんより、よっぽど村上龍っぽくニヒルに振る舞っていた。人が途切れた瞬間に村上さんに向かって突撃して、放送作家に紹介してもらってあいさつさせてもらった。
村上さんはハウステンボスのホテルヨーロッパの部屋のテラスでワイングラスを傾けるのが好きだった。「とっても落ち着ける。佐世保の街の中もいいけど、今じゃ、なかなか行けないしね」。記者がニヤニヤしながら「地元のおじさん、おばさん、お友達の相手が大変でしたね」と言うと「そうなんだ。でも、こういう機会でもないと皆とまとめて会うことはできない。ずっと知っていて応援してくれるからありがたいよね」と、うれしそうな笑顔を浮かべた。最先端を行くニヒルでかっこいい作家村上龍が、故郷・佐世保で見せてくれた郷土愛あふれるリラックスした姿だった。
74歳は、まだ早い。10歳年下の記者にとっては、ずっと時代の先頭を走り続けた村上さんの姿を見てきた50年だった。お疲れさまでした。ご冥福をお祈りします。【小谷野俊哉】