社会現象にもなった「あしたのジョー」で知られ、漫画家として初めて文化勲章を受章した、ちばてつや(本名千葉徹弥=ちば・てつや)さんが22日午後、骨髄異形成症候群のため東京都の病院で死去した。87歳。東京都出身。
「のたり松太郎」で相撲、「あした天気になあれ」でゴルフ、「おれは鉄平」で剣道を描き、スポーツを愛した漫画家だった。旧満州(中国東北部)での子供時代に終戦を迎え、引き揚げも経験。漫画家として、平和を訴え続けた。葬儀は家族葬で営んだ。喪主は妻幸子(ゆきこ)さん。お別れの会を検討している。
◇ ◇ ◇
旧満州から引き揚げ、56年、16歳の時に漫画家としてデビューした。67年12月発売の「週刊少年マガジン」で、原作の高森朝雄(梶原一騎)さんとともに連載したボクシング漫画「あしたのジョー」の連載が始まった。主人公の矢吹丈、ライバルの力石徹、魅力的なキャラクターを生み出し、熱狂的ファンを生んだ。力石の死は社会に衝撃を与え、70年3月に寺山修司らよって講談社で「葬儀」も行われた。漫画初のキャラが現実社会の人々を動かす、聖地巡礼などの動きのさきがけともいえる現象だった。
「立つんだジョー」「燃えたよ・・・・ 真っ白に・・・・ 燃え尽きた・・・・ 真っ白な灰に・・・・・・・・」などの名セリフは、今も愛されている。
70年代以降、「おれは鉄兵」や「のたり松太郎」「あした天気になあれ」などスポーツものでヒットを続けた。描くだけでなく、実際に大相撲の観戦にもしばしば姿を見せた。ブログ「ぐずてつ日記」でも、サッカーW杯、メジャーリーグなどを観戦した感想など記すだけでなく、ゴルフや野球もプレー。25年10月には地元チームで代打で2点タイムリーヒットだったと嬉しそうに報告していた。
ちばさんといえば、「電気あんま事件」のエピソードでも知られる。講談社別館に缶詰にされていた時、気分転換のために弟のちばあきおさんと、当時の講談社編集担当で「手塚番」としても知られる新井善久さんに「電気あんま」をかけたところ、新井さんがたまらず蹴飛ばしてしまい、ちばさんが窓ガラスに突っ込み、腕に大けがを負う。締め切り直前の緊急事態に、新井さんの前任の手塚番の丸山昭さんが、トキワ荘にSOSを出し、赤塚不二夫さん、石ノ森章太郎さんらが代筆。締め切りに間に合った。事件後、ちばさんはトキワ荘とも親交を深めることになった。新井さんは、ちばさんについて「優しくて偉ぶらない、漫画家の中では人柄が理想的な人」と語っていたという。
95年、上田トシコさんや赤塚不二夫さんら引き揚げ経験のある漫画家仲間と体験記「ボクの満州」を出版した。ちばさんは「紫電改のタカ」では、戦争末期の帝国海軍の飛行兵を描いた。主人公はやがて撃墜王となるが、最後は特攻に出撃する。少年向け戦記物だったが、戦争の恐ろしさ、悲劇を描いた。
ちばさんの「ぐずてつ日記」の最後の更新は26年8月17日。息子さんがかつての愛犬ジローの模型を作ってくれた話題を記し、最後には、ここ3年以上、ブログの最後に必ず記してきた「NO WAR」の5文字で締めくくった。
◆ちばてつや 本名千葉徹弥(ちば・てつや)1939年(昭14)1月11日、東京都生まれ。同年11月に朝鮮半島を経て、41年に旧満州・奉天(現中国・遼寧省瀋陽)へ。日本に引き揚げた後、56年に貸本向け単行本作品でプロデビュー。58年「ママのバイオリン」で雑誌連載を始め、61年「ちかいの魔球」(原作・福本和也)で週刊少年誌にデビュー。代表作「あしたのジョー」はテレビアニメ、実写映画化し広い世代に愛された。文星芸術大学学長、公益社団法人日本漫画家協会会長。文化功労者、日本芸術院会員。