<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>
「そこは先生の席だったんですよ」。次の瞬間、怒られるかと思った。そんな出来事があったのは、今月3日、北海道富良野市の富良野演劇工場で行われた、倉本聰さんのお別れの会。「先生」とは、ドラマ「北の国から」などの脚本家で、9月18日に多臓器不全のため91歳で亡くなった倉本さんのことだ。伝えてくれたのは、お別れの会を取り仕切っていた関係者で、倉本さんの弟子にあたる人。尊敬する師匠の指定席に、ずうずうしくも私が座っていたのだから、それは「怒られる」と思って当然だろう。
ただ、次に言われたのは「その席に座っていると、さぞ原稿がはかどるでしょう?」という、ジョーク交じりの優しい言葉だった。場所は富良野演劇工場の舞台に隣接する「グリーンルーム」と呼ばれる、出演者やスタッフのために用意された、休憩もできる台所完備の部屋。その日は朝晩こそ雪がちらついたが、倉本さんが来場者を歓迎したかのように、お別れの会の最中はずっと快晴だった。「北の国から」で「草太兄ちゃん」こと北村草太を演じた俳優の岩城滉一(75)、「雪子おばさん」こと宮前雪子を演じた竹下景子(73)ら著名人は、日差しが差し込んだ明るいグリーンルームで取材に応じていた。
主催者側が事前に、取材に応じるかどうかを確認し、応じる意向の著名人が、そのグリーンルームに来るという流れだった。次々に著名人が来るため、当初、報道陣用の待機場所は別の場所だったが、グリーンルームにパソコンを持ち込み、ちょうどいい具合に空いていたソファに腰掛けて記事を書いていた。その時、倉本さんの指定席は空いていた。明らかに1つだけ立派な、革張りの“社長席”のようなイスだった。
直感的に「座ってはいけない」と感じたのだろう。ただ、時間が経過し、パソコンのバッテリーが残りわずかとなり、途中、別の報道陣も座っていたこともあり…。そんないいわけを自分の中で勝手にして、電源にほど近い“社長席”に座った。そこで告げられた、倉本さんの指定席だったという事実。社長は日本だけでも数えきれないほどいるが、私も大好きだった「北の国から」という物語を作った人は1人しかいない。社長席以上に価値あるイスだった。
その関係者は懐かしそうに、こうも言っていた。「先生はいつも、舞台を袖から見て、気付いたこと、直した方がいいところを、その席に座って書き出して、本番中は言わないですが、公演が終わった後に、その席に役者を呼んで伝えていたんですよ」。富良野市に演劇文化を根付かせたいと願った倉本さんの情熱、息づかいを身近に感じた。イスは新品ではなく、使い込んでいる感じだった。イスがスッポリと収まる三角形の固定の机には、文房具などでできたような傷も随所に見受けられた。「書く」「伝える」、そして「創る」ということに情熱を注いだ倉本さんの痕跡が、そこにはあった。
2000年10月にオープンした富良野演劇工場は、倉本さんが照明、音響のプロや役者らとともに、設計段階から携わった。入場口前には「創るということは遊ぶということ 創るということは狂うということ」という、倉本さんの言葉が刻まれた石碑が建つ。「こうして文章を書く、創るということを、その席でやっていただくのは、うれしいことです。いい記事、楽しみにしています」。こう言って、最後は快く送り出していただいた。期待に応えられる記事を書けたなどとは、到底思えない。ただ、「創る」ということを何よりも尊重する人たちにあふれた取材現場で、富良野での良い思い出ができたのは確かだった。【高田文太】