「報ステ」大越健介氏が警鐘 危なっかしさはらむ「4文字」の“政治用語”「僕は恐れている」

大越健介キャスター

テレビ朝日系「報道ステーション」(月~金曜午後9時54分)の大越健介キャスターは6日までに自身の公式ブログ「大越健介の報ステ後記」を更新。日本維新の会肝いりの衆院議員定数削減をめぐり、自民党が折衷案として出した「31議席削減」に、維新と野党の国民民主党が賛成したことで今の国会で法案成立の見通しとなった件について、私見などをつづった。

大越氏は10月28日の「報ステ」でこの件について「国民がぽか~んとしたまま(の状態の中で)、妥協が成立」と厳しい表現で言及していた。

大越氏は10月31日更新の最新ブログを「政治決断を疑え」というタイトルで記述。「いきなり結論から言わせてもらいたい。僕は『政治決断』というものを誉めそやすべきではないと考えている。思い切りが良く勇ましいニュアンスを感じさせる言葉だ。だがそれ以上に危なっかしさを孕む。だから懐疑的に見なければならない。少なくともそれがメディアの役割だと思う」と書き出した。

そして「自民・維新・国民民主の3党は、衆議院の定数を現行の465から比例代表に限って31削減する案で合意した。僕は10月28日の放送で、『国民が「ぽかん」としている間に妥協が成立したようです』と表現した。衆院の定数削減をめぐる一連の交渉劇は、振り返って見れば即決の『政治決断』の連続だった。裏を返せば、多くの国民が置き去りにされたまま物ごとが進んでしまった。そもそも衆議院の定数削減を言い出したのは日本維新の会だ。去年、高市早苗氏が自民党総裁に選出されたばかりの頃、それまで長年連立のパートナーだった公明党に連立離脱を突き付けられ、いきなり崖っぷちに立たされた。高市執行部が新しい連立のパートナーとして白羽の矢を立てたのが日本維新の会であり、その維新の吉村代表が『改革のセンターピン』として出した条件が、衆院定数の約1割にあたる45人の削減だったのである。高市新総裁は丸のみをする決断をした。本人が認める通り、自民党内から『怒られる』ことを覚悟での『政治決断』である。思い切りが良い。しかし良いのは思い切りだけだ。なぜ今45人の国会議員のクビを斬らなければならないのかというという説明は一切抜け落ちた」と説明が抜けた部分がありながら定数削減問題が進んだ経緯などを振り返った。

さらに「政治に通じた人は言うだろう。あの時の自民党は衆参ともに少数与党の状態だったから、維新の言い分を聞かざるを得なかったのだと。それに、議員数の削減は分かりやすい『身を切る改革』として国民受けするだろうし、自民党にとっても悪くはない手だと。さらに言えば、小選挙区をいじるとなると難儀だが、比例代表だけ減らすというところに落ち着けば手間もずいぶん省けると。だが、それはあくまで維新と高市氏の事情に過ぎない。議会制民主主義の根幹にかかわる話であるにもかかわらず、国民の頭越しに話は進んだ。この45人削減案、高市政権は維新というパートナーを得ても依然少数与党である参議院を、通すことはできなかった。そしてこの秋の臨時国会、最適な相談相手として浮上したのが『対決より解決』を標榜する国民民主党だった。この政党が加勢すれば参議院もクリアできる。果たして3党の合意は成立した。それこそ国民が『ぽかん』としている間に」と続けた。

その上で大越氏は「衆院定数の削減は45でなく31にするのだそうだ。将来人口推計によると、2015年と2030年とでは6.7%の減少が見込まれ、これを465の衆院定数に当てはめると約31となるからという理屈だ。国民民主党の玉木代表は『合理的』と評価した。だが、人口減を衆院定数減にそのまま適用するルールなどないし、社会の価値観が多様化する中で、民意を代表する議員の数はむしろ増やすべきだという逆の理屈も成り立つ。つまりこの比例のみの31という削減数も、場当たり的と言われても仕方ない『政治決断』と言える。維新の吉村代表は、『31減が実現すれば、日本において戦後最大の定数削減になる』と評価したが、45削減から一歩も妥協せずという姿勢を貫いてきた割には拍子抜けである。『政治決断』とはつまり、バナナの叩き売りと同義なのか」とぴしゃりと疑問を呈した。

そしてこの件で永田町関係者の知人と電話でかわした話や、その知人の主張などを紹介。「そもそも維新が主張していた議員削減には合理的な説明がない。そこをスタート地点とし、国民のほとんどを置き去りにした中で3党でシャンシャンと握手し、『いや、実はこんないい道具を仕込んだんだ』と言われても腹に落ちないというのが僕の言い分である。

しかも(これは言わなかったが)、合意では中国四国をひとつの比例代表のブロックにまとめるとあるが、これらの県民の意見をきちんと聞いたのかどうか、大いに疑わしい。これを読んでいただく皆さんはどちらの意見に軍配を上げるだろうか」と問うた。

そして大越氏は最後に「そもそも、僕は『政治決断』というものを誉めそやすべきではないと考えている。遠回りであっても様々な議論をぶつけ合い、問題点を明らかにしたうえでの『政治判断』はあってしかるべきだ。しかし今回のように、まず削減ありきでその数や方法を論じるのはやはり違うと思う。昭和の初期、日本がアジアの覇権争いの舞台に躍り出て勝ち目のない戦争に突っ走ったのは、国民生活を置き去りにした無謀な『政治決断』の積み重ねだった。戦後のメディアはその反省を原点に再度、いのちを与えられたのだ。われわれはそのことを忘れてはならない。たかだか議員定数をめぐってそんな大げさな、と思うかもしれない。だが僕は、『政治決断』ありきの思考方式に、国民全体が慣れていってしまうことを恐れている」と警鐘を鳴らしつつ指摘し、締めくくった。