太川陽介(67)が8日、東京・SHIBUYA PLEASURE PLEASUREで「『デビュー50周年記念トーク&ライブ』みんなで祝って~♪」を開催した。この日は、デビュー当時に着用した、純白のステージ衣装を着用し、アンコールも含めて全9曲を熱唱した。
その中には、題が未定の新曲も1曲、含まれた。太川は「歌は、細々と歌っていく。きっかけがあったら、ヒット曲を…1曲じゃ寂しいから」と、自身最大のヒット曲となった77年「Lui-Lui」(ルイルイ)に続く代表曲を生み出すことに、飽くなき執念をのぞかせた。「今日、自分で詞を書いた曲を初披露。ステージがあると、新曲を書く。作詞だけですけど、ライブがある限り、歌と接点を持っていられると思います」と口にした。
その裏には「真上まで、昇りたかったな」と今でも惜しむ、アイドルとして大成できなかった過去がある。1976年(昭51)に「陽だまりの中で」でデビューし「昇れ! 太陽くん」のキャッチフレーズを付けられながら「昇ったんですけど…ちょっと夕日に入って、沈んじゃった」と、アイドルとして、もう1つブレークしきれなかった。現在は、07年10月から17年1月までテレビ東京系で放送された「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」をはじめとした、旅番組への出演が目立ち、その功績から6月には国土交通省で、第67回交通文化賞を受賞した。「自然な流れ…だったですね。そう流れないと、いけなかった」と、50年の芸能活動の変遷、続けてこられたゆえんを語った。
太川は「22歳くらいで、アイドルは僕には無理だと思った。フォークっぽいものを歌いようにしたけど、ダメだった」と、22歳でアイドルとしての自らに見切りを付けたと吐露。79~80年度、81~85年度にNHKの音楽番組「レッツゴーヤング」の司会も務めたが「アイドルは、もう、どうにもならなかった。もう自分には無理だなと思った」と当時の心中を明かした。
そこから「当時、ホームドラマに出ていたんで、池内淳子さん。森光子さん、草笛光子さんの息子役」と、俳優に方向を転換したが「28歳くらいになると、息子役もできない。刑事ものも出てきたけれど、できない…しんどい時代が続いた」と続けた。
1番、苦しかったのは「30歳を前に、仕事がなくなってスケジュールが真っ白だった」頃だという。「仕事もしないから、なかなか経済的にも大変で。10何人も友達がいると、誰かしら誕生会がある。プレゼントが買えなくて、その日、仕事があると…(金がなくて)行けなかった。家にお札もなかった」と振り返った。
そして「舞台に使ってもらって、舞台に6カ月」と舞台に軸足を移した。その中で「そうでなくても、テレビの時間がなかった。その間に、旅番組をやるようになった。生きていく中での流れです」と、舞台に活路を見出し、空き時間に出始めた旅番組が、芸能界で生きていく術になったと振り返った。
今や「若い人から『あっ、バスの人! 』と言われるので、そう、見られているんだな、と」と言い、照れ笑いを浮かべた。「『バス旅』のゲストで来る子が、アイドルだったことを知らないんだもん。(77年の自身最大のヒット曲)『Lui-Lui』(ルイルイ)も。ずっと、バスに乗っているんだと思っている」と続けた。
改めて、芸能生活50周年の心境を聞かれると「人の50周年を聞いて、すっごーと思っていた。自分が体験できるとは…実感としてはなかった」と率直な思いを語った。誰が1番、喜んでくれると思うか? と聞かれると「1番、うれしいのは僕自身」と笑みを浮かべた。