野球のブルガリア代表監督を日本人が務めている。千葉・佐倉高、早大の野球部に所属した藤森健氏(39)で、このほどベオグラード(セルビア共和国)で行われた欧州野球選手権Bプールで指揮を執った。競技人口約400人の同国で、野球の普及とスポーツを通した子どもたちの教育を目指している。

 ブルガリアが出場した欧州選手権Bプールは、39カ国参加の欧州野球連盟の2部チーム12カ国が2つに分かれ、リーグ戦を行う。優勝すれば2年に1度、12カ国で争われる本戦に出場できる。最下位ならCプールに転落だ。

 7月24日から5連戦で行われたリーグ戦で、ブルガリアは3連敗後、2連勝して5位となり残留を決めた。藤森監督には勝敗以上にうれしい場面があった。「選手が率先して試合後のベンチでゴミを拾うなど、きれいにして退出した。技術の上達より態度の変化を感じるとやりがいがあります」。欧州野球全体に感じるそうなのだが、代表選手でも負ければチームメートや審判に責任転嫁し、道具を粗末にしたり、片付けは人任せなどマナーに欠ける。技術以前に教えることが多かった。

 選手にも気の毒な面がある。藤森監督が「レベルは日本の高校生の地方大会3、4回戦ぐらい」と評する代表の平均年齢は28・8歳。ドイツのリーグでプレーする大学生はいるが、職業は教師や自営業などさまざまで、大会まで集合できない。連係プレーの練習は開幕後に初めて行った。仕事を休む上、経費は自己負担で、代表を辞退する選手もいる。だから、24人登録できるのに、ベンチ入りしたのは15人だった。

 ブルガリア野球連盟の創設は1989年。92年バルセロナ五輪で野球が正式競技に採用される時期だった。当初は青年海外協力隊の日本人が、同国がEUに加盟する08年まで野球普及に携わった。藤森監督も派遣された1人で、04年から3年間、子どもから成人まで指導。当時、接した10代の中から今回代表入りした選手がいる。成長した彼らを目の当たりにして、さらに決意を固めた。「今後は彼らとともに5年後、10年後を目指し、低年齢の子どもに力を注ぎたい」。

 派遣後、一時日本に戻ったが、09年に結婚したブルガリア人の妻と10年に移住。11年にスポーツ教育振興を目的とした小さな会社を起こした。ボランティアで野球連盟を手伝い、クラブチームを結成した。近く各小中学校にチームを作り、学校対抗戦を企画したい。今大会限りの約束で代表監督を引き受けたのは、チームの垣根を越えて、代表選手と国内野球について、話し合うのが目的だった。

 出身の佐倉高は長嶋茂雄氏(81)の母校だ。「日本の方と話をすると、高校名だけで『長嶋さんの!』と認識してくださるので、感謝しています」と話すように、面識はない。それでも「野球とは人生そのもの」と語る大先輩と同じ。果てしない野球道を歩んでいる。【久我悟】

 ◆藤森健(ふじもり・たけし)1978年(昭53)4月5日生まれ、千葉県習志野市出身。佐倉高時代は投手。早大時代は外野手で通算1打数無安打。同期に元日本ハム投手の江尻慎太郎氏(現侍ジャパンU12コーチ)がいる。02年早大人間科学部スポーツ科学科卒業、04年同大学院人間科学研究科修士課程修了後、青年海外協力隊に参加してブルガリア派遣。08年から2年間青年海外協力協会勤務。10年にブルガリアに移住。

 ◆ブルガリア共和国 11・09万平方キロメートル(日本の約3分の1)、人口717万人、首都ソフィア、公用語はブルガリア語、在留邦人数は127人。盛んなスポーツはサッカーで最新FIFAランクは52位。大相撲の鳴戸親方(元大関琴欧洲)碧山(春日野)の出身国。