有楽町スバル座が10月閉館 半世紀の歴史幕下ろす

閉館発表 19年10月中旬の閉館が発表された映画館「有楽町スバル座」=2019年3月15日

1966年(昭41)4月に開館した東京・有楽町スバル座が、施設の老朽化などから10月に閉館することが決まった。新作の洋画を先行上映する、日本で最初のロードショー劇場として知られる丸の内スバル座を受け継ぎ、有楽町駅前で映画文化を支え続けた有楽町スバル座の、最後の洋画ロードショーとなる仏映画「マイ・エンジェル」が10日から公開されている。歴史の幕を下ろす日が近づく中、支配人の足立喜之さん(62)と興業部の加藤和人さん(45)に思いを聞いた。

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開館から半世紀、有楽町スバル座の歴史が閉じようとしている。劇場の空調、配管が傷み、改修に多額の費用がかかることが主な理由だ。足立さんは「デートの時、有楽町で映画を見るのは1つのステータスだった。いろいろな劇場を開けてきたけれど、閉じるのは初めて。戦後からの歴史を考えると、役目は重い。街の風景も変わるかも知れませんね」と、しみじみ語った。

スバル座の歴史は、終戦直後までさかのぼる。日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ)はアメリカ映画協会を組織。日本への配給権を配給会社セントラルに移管し、映画を通じた対米意識の友好化、啓発を図り、一般封切りに先立ち2週間、米国映画を上映するロードショー劇場を設ける動きを進めていた。その中、1946年(昭21)2月に映画興行を目的に創業したスバル興業は、セントラルと契約し日本初のロードショー劇場となった。当時、映画館は自由席で、料金は3~4円50銭程度だったが、丸の内スバル座は指定席を導入。料金は1回15円の高級館だった。

丸の内スバル座は53年に火災で焼失してしまうが、東京オリンピック(五輪)から2年後の66年、現在も劇場を構える有楽町ビルヂングで有楽町スバル座として再出発した。日活の提携劇場として邦画を1年半上映も不振で、翌67年には提携を解消。同年に東宝と提携し、再び洋画系劇場となりヒット作に恵まれた。

その顔を再び変えたのが、08年3月1日付で支配人に就任した足立さんだ。スバル興業の親会社、東宝の興行部門・東宝東日本興行で取締役を務めた足立さんは、上映作品の編成も任された。地方でフィルムコミッションを立ち上げ、07年に栃木で「檸檬のころ」、08年に山梨で「休暇」を製作した経験を糧に地方発の映画を数多く上映した。

全国にシネコンが広がり、単館系の劇場が減少の一途をたどる中、有楽町スバル座はシネコンでは上映しないような小規模な映画を、東京で上映する受け皿の1つとなっていた。ただ、施設の老朽化に加え、自社ビルではなく家賃も発生するため、運営継続は厳しかった。足立さんが支配人に就任する前から働く加藤さんは「時代の流れで仕方ないところはある。でも寂しいですね」と惜しんだ。

足立さんは閉館記念上映を企画しており、上映してきた中から「イージー・ライダー」や日活往年の名作を含めた60本を編成中だ。【村上幸将】

公開中の「マイ・エンジェル」は昨年、カンヌ映画祭「ある視点部門」に出品された作品だ。米アカデミー賞でオスカーを獲得した仏女優マリオン・コティヤール(43)演じるシングルマザーが、再婚相手との関係が破綻し、8歳の娘の前から姿を消す物語。子供の愛し方が分からない親というテーマは、今の日本が抱える育児放棄や児童虐待といった問題に通じる。足立さんは「うちの最後にふさわしい映画。運命的…タイミングです」と語った。

<スバル座の主な歴史>

◆1946年(昭21)2月 スバル興業創業。

◆同12月31日 丸の内スバル座開業。米映画「我が心の歌」を公開

◆53年9月6日 火災で焼失。

◆66年4月29日、有楽町スバル座開業。吉永小百合の「愛して泣いて突っ走れ」、石原裕次郎の「青春大統領」上映。

◆67年12月15日 日活との提携解消。東宝と提携。翌16日に米映画「足ながおじさん」を公開。

◆70年1月24日 「イージー・ライダー」公開。大ヒット。

◆同8月 ビートルズ主演の英映画「レット・イット・ビー」公開。75年6月には「HELP!」「ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!」との3本立てで上映。

◆72年 9月23日に米アニメ映画「スヌーピーとチャーリー」が公開し大ヒット。75年、76年にもシリーズ上映。

◆80年 フランス映画社が配給する欧州の映画が人気。

◆2008年3月1日 足立支配人が就任。

◆19年10月 閉館。