故宿沢広朗さん長男は「ドクター」でラグW杯携わる

W杯のマッチ・デー・ドクターを務めている宿沢広朗さんの長男孝太氏

日本がスコットランドを唯一撃破したときの代表監督で、91年にはW杯初勝利をもたらした故宿沢広朗さんの長男孝太氏(38)が「マッチ・デー・ドクター」としてラグビーW杯の舞台に立っている。38歳は広朗さんがスコットランドを破ったときと同年齢で、W杯でアイルランド、スコットランドと同組になるのは91年の宿沢ジャパン以来。「偶然ですけど、運命的です。このままスコットランドに快勝してほしい」と話している。

   ◇   ◇   ◇

W杯を主催するワールドラグビーが指名する「マッチ・デー・ドクター」として孝太氏はW杯のピッチに立った。「ラグビーに携わっている者の憧れの舞台です。父も日本で開催したいと頑張っていたこともありますし、W杯で働きたいとずっと思っていました」。資格を取り、トップリーグ、スーパーリーグ、テストマッチで3年間、経験を積んできた。

広朗さんは38歳の89年5月28日、秩父宮でスコットランド28-24で破り、ティア1(ラグビー伝統国・地域)から歴史的初勝利を挙げた。「自分も会場にいたんですけど、当時小学3年で父が日本代表監督という認識があまりなくて…。家に帰ったら、お祝いの電報、電話、お花がすごくて、初めて何か大変なことをした、父が日本代表の監督なんだと認識した記憶があります」。2年後、日本はW杯でジンバブエから初勝利を挙げた。アイルランド、スコットランドと同組だった。

「偶然ですけど、運命的なものを感じます。父はW杯を見られないけど、応援してくれているんだろうな、喜んでくれているだろうなと思っています」

スコットランドには89年を最初で最後に勝てていない。広朗さんが指揮を執った91年は9-47と完敗し、広朗さんが強化委員長を務めた03年大会は善戦の末、11-32で敗れた。そして前回、南アフリカに勝った後、中3日で戦い、10-45で大敗した。「今年こそです。アイルランド戦は奇跡ではなく、自信を持って戦っているのが見て取れました。このままサモアはもちろん、スコットランドに快勝してほしい」。

「マッチ・デー・ドクター」は自国代表の試合は担当しない。非番となる10月13日のスコットランド戦。孝太さんは妻と長男、母洋子さん(66)、三井住友の銀行マンとして広朗さんの後を継いだ弟悠介さん(35)一家と宿沢家7人全員で観戦する。決勝トーナメント進出を確実にする30年ぶりを勝利を信じて応援する。【中嶋文明】

◆宿沢孝太(しゅくざわ・こうた)1981年(昭56)1月23日、ロンドン生まれ。中高一貫の駒場東邦中でラグビーを始め、ポジションはスクラムハーフ。進学した慈恵医大でセンターに転向し、5年時には関東医歯薬大リーグ1部で優勝した。現在、慈恵医大ラグビー部監督。専門は血管外科で、慈恵医大付属病院で臨床医を務める。

◆宿沢広朗(しゅくざわ・ひろあき)1950年(昭25)9月1日、東京生まれ。埼玉・熊谷高校でラグビーを始め、160センチの小兵ながら早大では1年からレギュラー、2年で日本代表入りした伝説的スクラムハーフ(代表キャップ3)。71、72年、日本選手権を連覇し、早大の黄金時代を築いた。卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に入行。為替ディーラーとして活躍する一方、89~91年、日本代表監督、00~03年、日本ラグビー協会強化委員長を務めた。銀行マンとしては00年、49歳で執行役員、06年、取締役専務執行役員。将来を嘱望されたが、06年6月、心筋梗塞で登山中に55歳で急逝した。原点の地の熊谷には今年、「宿沢広朗杯」が創設された。

◆マッチ・デー・ドクター すべての国際試合で置かれ、W杯では統括団体「ワールドラグビー」が指名する。ピッチ上で応急処置をするチームドクター、イミディエート・ケア・ドクターと違い、ピッチ脇でビデオ分析しながら、中立公正の立場から、出血、脳振とうについて、プレーが続行できるかどうか、一時的な交代が必要かどうかなど判断する。脳振とうと診断すると、1週間の出場停止となるため、中3日、中5日で試合があるW杯ではチームに与える影響が大きい。担当試合は非公開。自国代表の試合は担当しない。