北野武監督はベネチア2冠、世界3大映画祭と日本人

「影武者」でパルムドール獲得の直前、黒沢明監督の懇親会では、フランシス・フォード・コッポラ監督(右)の尊敬の眼差しが印象的だった(80年4月)

<ニュースの教科書>

黒沢清監督(65)の映画「スパイの妻」(10月16日公開)がイタリアのベネチア映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞しました。フランスのカンヌ、ドイツのベルリンと並ぶ世界3大映画祭での快挙です。3大映画祭には元祖「世界のクロサワ」こと黒沢明監督をはじめ、多くの日本人が足跡を残してきました。その足跡を振り返ります。【相原斎】

カンヌは74年、一番古いベネチアは88年、ベルリンも69年と、3大映画祭はそれぞれに長い歴史を誇っています。

最高賞の作品賞と2番目の監督賞には、各開催地のシンボルが冠されています。カンヌは地中海に面した土地柄もあって最高賞をパルムドール(金のシュロ)。ベネチアは同市の守護聖人聖マルコの紋章から金獅子、銀獅子。ベルリンは都市国家時代の紋章から金熊、銀熊と呼ばれています。黒沢清監督が受賞した銀獅子賞はベネチアで2番目の賞ということになります。

審査委員は毎回、著名な映画人やジャーナリストで構成され、今年のカンヌ審査委員長はアメリカのスパイク・リー監督。ベネチアはオーストラリア出身の女優ケイト・ブランシェット。ベルリンはイギリスの俳優ジェレミー・アイアンズがそれぞれ務めました。

3大映画祭における日本映画受賞の皮切りは51年、黒沢明監督の「羅生門」がベネチア金獅子賞となりました。翌年には溝口健二監督の「西鶴一代女」が同銀獅子賞。54年には衣笠貞之助監督の「地獄門」がカンヌ・パルムドールで続きました。戦後9年。メード・イン・ジャパンの高品質を世界に知らしめたのは映画が最初でした。自動車や家電より早かったのです。

一方で、初期の受賞作は時代ものばかりでした。現代ものが最高賞にたどり着いたのは世紀の変わり目も近い97年でした。この年、カンヌでは今村昌平監督の「うなぎ」がパルムドール。ベネチアで北野武監督(73)の「HANA-BI」が金獅子賞に輝きました。

その後、審査員特別賞などで健闘する現代ものは数多くあったのですが、再び最高賞に輝いたのは2年前の是枝裕和監督(58)「万引き家族」でした。21年ぶりのカンヌ・パルムドールだったのです。

それぞれの映画祭と監督の間には相性があるようです。是枝監督はカンヌと縁があります。04年の「誰も知らない」では、当時14歳だった主演俳優、柳楽優弥(30)がカンヌ最年少の男優賞を受賞しました。さらに13年の「そして父になる」では審査員賞。2つの受賞を経て最高賞に至ったのです。

北野監督は「HANA-BI」に続き、03年にも「座頭市」でベネチア銀獅子賞を獲得しています。フランスでは、黒沢明監督と同じ最高勲章レジオン・ドヌールを授与されていますが、カンヌには縁がありません。

縁や相性の変わり目を実感させたのが、83年のカンヌで起きた逆転劇でした。下馬評では、この5年前に監督賞を取った大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」がパルムドールの大本命と言われていました。メインキャストには世界的に知名度の高いデビッド・ボウイが名を連ね、反戦、平和のテーマは国際的な理解も得やすいと思われたのです。

大島監督は音楽も担当した坂本龍一(68)ら出演者とともに開催に合わせて現地入りし、山本寛斎デザインのそろいのTシャツを着て大々的なデモンストレーションを行いました。上映会もスタンディングオベーション(立ち上がる拍手喝采)が延々と続く盛り上がりでした。

一方、まったく期待されていなかったのが、今村昌平監督の「楢山節考」です。「『姥捨山』の話が外国で理解されるとは思わない。(製作会社の)東映が余計なこと(カンヌ出品)をした」と言う今村監督は、日本に残りました。東映社内には「どうせ恥をかくのだから、派遣は最小限に」という空気があり、現地に入ったのは日下部五朗プロデューサーと主演の歌手・坂本スミ子(83)の2人だけでした。

ですが、ふたを開けてみれば、山奥の四季と「戦メリ」とは対照的に極めて日本的な生活描写が受けて「楢山節考」に軍配が上がったのです。坂本スミ子が一夜にして「日本のエディット・ピアフ」と持ち上げられる大騒動になりました。世界的評価の高かった大島監督ですが、カンヌでは監督賞にとどまりました。対して、今村監督は14年後の「うなぎ」でもパルムドール。日本人でただ1人の2度受賞となりました。

3大映画祭の中でもっとも権威があるといわれるカンヌ・パルムドールを得た日本人監督はその今村、衣笠、是枝に80年の「影武者」で受賞した黒沢明監督を加えた4人です。黒沢監督は最初に紹介した51年のベネチア金獅子賞、さらに59年には「隠し砦の三悪人」がベルリン銀熊賞を受賞しており、それぞれにクセのある3大映画祭でただ1人すべてに爪痕を残したことになります。やはり頭ひとつ突き抜けた存在なのです。

90年のカンヌ映画祭で、イタリアのフェデリコ・フェリーニ監督、スウェーデンのイングマル・ベルイマン監督とともに特別表彰された姿は今でも鮮明に覚えています。文字通り当時の世界3巨匠のそろい踏みでした。実は口べたでシャイな黒沢監督も、満面に笑みを浮かべていました。

アニメでは02年、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」がベルリン金熊賞。そして05年にはその功績が評価されてベネチア栄誉金獅子賞が贈られています。世界で日本映画といえば、やはりクロサワ、そしてジブリということになるのかもしれません。

■アカデミー賞では

3大映画祭と並んで世界で注目されているのが米国のアカデミー賞です。日本人では、57年助演賞のナンシー梅木がアジア人俳優としても初の受賞。今のところ後を追う人はいません。作品としての受賞は外国語映画部門にとどまっており、今年、韓国映画「パラサイト」がアジア映画として初めて最高賞の作品賞を受賞したことが、いかに「快挙」だったかということが改めて分かります。日本の映画作品、映画人のこれまでの受賞は短編、科学技術部門を除くと15回。こちらでも黒沢明、宮崎駿両監督は個人として「名誉賞」レベルに達しています。

◆相原斎(あいはら・ひとし) 1980年入社。文化社会部では主に映画を担当。黒沢明、大島渚、今村昌平らの撮影現場から、海外映画祭まで幅広く取材した。著書に「寅さんは生きている」「健さんを探して」など。カンヌ映画祭では黒沢明監督の特別表彰に思わず涙する一方、80年代に不仲と伝えられたシルベスター・スタローンとアーノルド・シュワルツェネッガーが仲良くダンスしている様子を激写。AP通信を通じて配信される世界的スクープ写真? となった。