ドラフト会議 今年の話題の1つ田沢ルール撤廃とは

ワールドシリーズで登板するレッドソックス時代の田沢投手(13年10月30日撮影)

<ニュースの教科書>

プロ野球12球団が高校生、大学生、社会人らの新人選手を指名する「ドラフト会議(新人選手選択会議)」が、26日に迫って来ました。各球団の1位指名は誰? 有望選手には何球団の指名が集まるか? 無名選手の「隠し玉」は? 例年、指名をめぐってさまざまな出来事が起こるドラフトですが、今年の特徴の1つに「田沢ルール」の撤廃があります。ここでは、同ルールとは何か? とともに撤廃に至った背景についてお話しします。【玉置肇】

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そもそも「田沢ルール」って、何でしょう?

ドラフト対象のアマチュア選手が国内の球団を経由せずに米国メジャーリーグ(MLB)など海外でプレーした場合、その選手が帰国して国内の球団でのプレーを希望しても、一定期間を経なければ球団に加入できない、という日本のプロ野球組織(NPB)における「申し合わせ事項」のことです。

一定期間とは、その選手が高校出身なら帰国後3年、大学・社会人出身なら2年、ドラフト会議で指名できない、とされていました。

このルールのきっかけとなったのが、2008年、メジャーのボストン・レッドソックス入りした田沢純一投手(34)でした。

同年9月、その年のドラフトで1位指名確実とみられていた社会人野球の強豪、新日本石油ENEOS(現ENEOS)所属の田沢投手(当時22)が「メジャーリーグ挑戦」を表明。日本の12球団に対し「ドラフトで指名しないでほしい」という文書を送付したのです。

日本の高校生、大学生、社会人がプロ野球に進む場合、ドラフトを経由されなければなりません。それだけに、上位指名確実な有力選手がドラフトを経由せずに海外挑戦を表明したことは、球界には衝撃的でした。

「これでは、有望なアマチュア選手がどんどん海外に出ていってしまう!」

そう危機感を抱いた日本球界は、対応を協議。その結果、田沢投手の意向は認める一方(現にドラフトで指名する球団はありませんでした)、帰国後、国内プロに入る場合に一種の「ペナルティー」を設けたのです。それが冒頭の、高校出身選手は3年、大学・社会人出身選手は2年のドラフト指名凍結でした。

田沢投手は今年3月、米マイナー(メジャーの下部組織)との契約を解除。日本でのプレーの可能性が高くなりましたが、ルールに照らせば社会人出身の同投手のドラフト指名は、来年となります。そこで、7月に独立リーグの「埼玉武蔵ヒートベアーズ」に入団、NPB入りの機会を待つことになりました。

そこへ、9月7日、同ルールの「撤廃」が決まりました。同投手には、今年のドラフトから指名対象選手となり、NPB入りの選択肢が広がったのです。

なぜ、撤廃されたのでしょう? 実はルール設定当時、米球界入りを希望する選手の言い分に「若手の練習環境、待遇面が日本より充実しているから」がありました。でも近年、12球団の育成環境も整備され、米と比較して遜色ないレベルになりました。これにより言葉や食事の問題がある米球界を、ドラフトを経ずに目指す選手が減り、申し合わせの持つ意義自体が薄らいだためです。

もう1つ、理由があります。それは、田沢投手の「選手生命」に基づきます。プロ野球における「30代半ば」は、この先どれくらい現役を続けられるかの判断を迫られる年齢層と言えます。日本プロ野球選手会も、田沢投手が独立リーグ入りした後に、NPBにルール撤廃を求め、「早め」の日本球界入りを後押ししました。

田沢投手といえば、レッドソックス在籍時の2013年、「中継ぎ」や「抑え」で大車輪の活躍をみせ、チームのワールドシリーズ(NPBで日本シリーズに当たる)優勝に貢献しました。MLBで通算9年間登板した実績は、日本球界にとって魅力です。獲得に名乗りを上げるチームが出て来て不思議ではありません。

さあ、26日に迫った今年のドラフトで田沢投手を指名する球団は? がぜん、各球団の戦力補強が注目されます。

▼「プロ野球への主なルート」 高校生、大学生はプロに進む場合、プロ野球志望届を提出後に、ドラフト会議で指名されればプロ選手になる道を開くことができます。また、独立リーグ入りやプロ球団によるトライアウト(入団テスト)を受験するにも、志望届を出す必要があります。

社会人は、高校卒で3年、大学出身で2年プレーしていればドラフトでの指名対象となります。一方、ドラフトを経ずに海外球界に挑戦した場合、これまでは帰国後「高校出身選手は3年、大学、社会人出身は2年、ドラフト指名対象にならない」という申し合わせ(いわゆる田沢ルール)がありました。田沢投手は社会人出身のため、来年からドラフト指名対象となるところでしたが、今回のルール撤廃により、今年のドラフトでの指名が可能になりました。

◆田沢純一(たざわ・じゅんいち)1986年(昭61)6月6日、横浜市生まれ。横浜商大高では2年時に夏の甲子園出場も登板なし。05年に新日本石油ENEOS(現ENEOS)入社。08年都市対抗で4勝を挙げて優勝。橋戸賞(最優秀選手賞)受賞。同年12月、ボストン・レッドソックスと3年契約し、日本のプロ野球を経ずにメジャー契約を結んだ初の日本人選手となった。10年に右肘手術。13年ワールドシリーズ優勝。17年からマイアミ・マーリンズ、18年途中からロサンゼルス・エンゼルスでも登板。メジャー通算388試合登板、21勝26敗4セーブ、防御率4・12。7月にBCリーグ・埼玉入団。180センチ、90キロ。右投げ右打ち。

◆玉置肇(たまき・はじむ)1983年入社以来20年以上、主にプロ野球の取材にかかわる。94年には長嶋巨人の「10・8」最終決戦を取材。その経験を買われ? 当欄では野球のほかスポーツ関連の記事、用語などについて説明します。担当したプロ球団は、巨人7年、横浜大洋(現DeNA)3年、3局(セ、パ両リーグとコミッショナー事務局)3年。デスク9年。記者時代のドラフトで記憶に残るのは、93年の巨人長嶋監督が星稜・松井秀喜選手をクジで引き当てたときのサムアップポーズ。