センバツ行進曲2年連続パプリカ「復活」メッセージ

センバツ入場行進曲と優勝校

<ニュースの教科書>

第93回選抜高校野球大会が3月19日から兵庫・甲子園球場で開幕予定だ。昨年の大会を中止させたコロナ禍はまだ続いているが、すでに出場32校が決定。準備は着々と進んでいる。入場行進曲は昨大会と同じFoorinの「パプリカ」(作詞作曲・米津玄師)。戦後初となる2年連続の同一行進曲に「復活」のメッセージを込める。センバツの入場行進曲は1962年(昭37)の34回大会から前年のヒット曲が採用されている。入場行進曲の知られざる「編曲」の妙と、歴史を紹介する。【笹森文彦】

コロナ禍の感染防止対策から、開会式で全選手の入場行進は難しい。だが昨大会と同じ「パプリカ」が、2年連続で入場行進曲になることは意義深い。主催の日本高野連は「(中止となった)前回大会と同じ曲を採用することで、すべての高校野球ファンに『復活』というメッセージを伝えたい」という。「パプリカ」は今大会用に新たに編曲し直される。センバツの初期の入場行進曲は、「星条旗よ永遠なれ」など既製の行進曲などが使われた。現在のように主に「前年のヒット曲」になったのは、高度経済成長期の34回大会(62年)からで、坂本九の「上を向いて歩こう」が最初だった。

以後、数々のヒット曲が選ばれてきたが、オリジナルのまま演奏されてはいない。行進曲とは「歩調を合わせ秩序正しく行進させるための伴奏用音楽」。毎回、音楽家が行進曲用に編曲する。81回大会(09年)の「キセキ」(GReeeeN)からは、「たなばた」「大仏と鹿」などの作品で知られる作曲家で編曲家の酒井格氏(50、大阪音楽大講師)が担当している。

酒井氏が編曲した入場行進曲の楽譜データも入手できる大手販売サイト「ぷりんと楽譜」(ヤマハ)には、同氏の解説も掲載されている。それによると、「キセキ」は「人への思いやりを歌った曲。歌詞の力が大きいので、言葉の流れを壊さないようにした」という。行進曲にしづらいラップ調の部分はファンファーレにした。

85回大会(13年)の「花は咲く」は「冬から春に向けて力をためる花をイメージ」して編曲した。89回大会(17年)の「恋」(星野源)は「オリジナルはかなり速いテンポですが、選手の行進に合わせて変更しています。また式典進行に合わせて、作品の構成も一部変更しています。というわけで、オリジナルと同じ振り付け(「恋ダンス」)で踊ることが出来なくなり、申し訳ありません」とユーモラスに解説している。

編曲の大前提は、選手が歩きやすいこと。屋根のない甲子園球場は音楽ホールとは全然違うので、それぞれの楽器の音域を工夫する。さらにまだ寒いので、指回しが複雑な譜面にならないようにしている。

アーティストも入場行進曲に選ばれ喜んでいる。「ありがとう」(83回大会、11年)のいきものがかりの水野良樹は野球少年だったこともあり「あこがれの甲子園にこのような形で関われてすごくうれしい。選手たちは、大舞台に立てるまでに支えてくれた人のことを思って行進してほしい」。星野は「行進曲用のアレンジがどのようになるのかとても楽しみ」とコメントしている。

昨大会用の「パプリカ」は、冒頭ではFoorinが歌う時のように明るく軽やかに、中間部では(作詞作曲の)米津玄師が歌う時のように少し大人の雰囲気でしっとりと編曲したという。今大会の「パプリカ」の編曲に関して、酒井氏は「余計なことを考えず、ただ大会を盛り上げる、いいものを作ろうと思っています」。復活の夢舞台で「パプリカ」がどう響くのかも楽しみである。

◆笹森文彦(ささもり・ふみひこ)北海道札幌市生まれ。83年入社。高校球児で、73年創部の北海道立札幌北陵高野球部初代主将。左投げ左打ちで中堅手兼投手。巨人の原辰徳監督が東海大相模で活躍していた世代で、自宅の壁に「打倒!原辰徳」と紙を張って甲子園を目指した。75年の第57回全国高等学校野球選手権大会札幌地区予選で選手宣誓した。試合は1回戦で優勝候補の東海大四に敗退し、甲子園の夢は破れた。記者となり84年夏に初めて取材で甲子園に足を踏み入れた時、感激で涙があふれた。血液型A。

■夏は…35年大会から一昨年まで同じ曲

夏の甲子園では35年(昭10)の21回大会から一昨年の101回大会(昨年は中止)まで、同じ入場行進曲が演奏されている。完成当時のタイトルは「全国中等学校優勝野球大会行進歌」で、山田耕筰氏が作曲した。「行進歌」とあるように歌詞もあるが、開会式では演奏だけが披露されている。大会歌は古関裕而氏が作曲した「栄冠は君に輝く」で、閉会式の優勝校、準優勝校の場内1周の際に演奏されている。

<センバツ「入場行進曲」のトリビアなアレコレ>

◆1回で消えた初代大会歌 満州事変が始まった31年(昭6)の8回大会で、初の大会歌「蒼空高き甲子園」が入場行進曲に使われた。時代小説「丹下左膳」の長谷川海太郎氏が「谷譲次」のペンネームで作詞し、陸軍戸山学校軍楽隊が作曲した。歌詞にあった「オール日本の若人に」や「ヤング日本の雄叫びを」が、敵性語であると軍部からクレームがつき、わずか1年で廃止された。

◆同一曲は4年連続4回が最多 「パプリカ」は戦後初の2年連続だが、戦前には2代目大会歌「陽は舞いおどる甲子園」が34年(昭9)から37年まで4年連続で使用された。戦時色が強くなった翌38年から入場行進曲は「愛国行進曲」など軍歌に変わった。ちなみに3代目大会歌「今ありて」(作詞・阿久悠、作曲・谷村新司)は93年の65回記念大会で発表され、同年と18年の90回記念大会で2回行進曲になった。

◆「世界の国からこんにちは」も2回 70年に開催された大阪万博のテーマソング。67年に三波春夫(テイチク)坂本九(東芝)吉永小百合(日本ビクター)山本リンダ(ミノルフォン)叶修二(日本グラモフォン)弘田三枝子(日本コロムビア)西郷輝彦・倍賞美津子(日本クラウン)ボニージャックス(キングレコード)のレコード会社8社競作で発売された。67年と70年に入場行進曲に採用された。

◆坂本九の6回がダントツ 「上を向いて歩こう」「幸せなら手をたたこう」「ともだち」「世界の国からこんにちは」(2回)「明日があるさ」と計6回、坂本九の曲が使用された。他は吉永小百合とSMAPが3回。三波春夫、岩崎宏美、サザンオールスターズ、AKB48、槇原敬之、Foorinが2回(大会歌は除く)。

◆メドレーは2回 21世紀となった01年の73回大会で、サザンオールスターズの「TSUNAMI」とビートルズの「イエスタデイ/ヘイ・ジュード/オブラディ・オブラダ」がメドレーで演奏された。「TSUNAMI」は前年の日本レコード大賞で「サザンは新時代の、ビートルズは20世紀の代表」が理由。平成最後となった19年の91回大会はSMAPの「世界に一つだけの花」と槇原敬之の「どんなときも。」が演奏された。「平成を象徴する2曲」が理由で、ともに2回目だった。

◆「長い間」待った初優勝 99年の71回大会で、沖縄尚学が県勢初の全国制覇。まだ米占領下だった58年夏の甲子園に首里が初出場してから42年目の、沖縄県民の悲願成就だった。この時の入場行進曲「長い間」は沖縄の女性デュオKiroroの曲で、勝利の女神といわれた。