長渕剛、押し寄せる「時代」最前線で叫び続ける

東日本大震災から10年。被災地への思いを語った長渕剛(撮影・たえ見朱実)

<忘れない3・11~東日本大震災~>

音楽家・長渕剛(64)は東日本大震災発生直後から動いた。すぐに震災への怒りと再起への決意を込めた散文詩「復興」を発表。過酷な任務に就く自衛隊員の激励ライブを行い、被災した子供たちをふるさと鹿児島に招待した。原発を止めてくれと訴える「カモメ」や、共生の思いを込めた「ひとつ」を発表した。あれから10年、長渕はその熱い思いのまま、新型コロナウイルスと闘っている。常に時代と対峙(たいじ)する、あの時のままである。

あの日、長渕は都内の事務所で打ち合わせ中に、大きな揺れに襲われた。スタッフの安全を確認し、すぐに非常階段で外に避難した。空やビル、揺れ続ける電線を見上げた。「とんでもないことが起きた」と直感した。

長渕はかつて「商業的に作品を作り続けるのではなく、叫びたい、我慢ならないという衝動が生まれた時に歌うべきだ。音という武器に、言葉という弾丸を込めて、撃ちまくる。それが僕の原動力だ」と話した。その思い通り、すぐに動きだした。そんな10年前を振り返り、こう話した。

長渕 自分で現況を見ていないことに関しては、物は言えない。もし行っていなければ、表現しなければいい。表現するには、現況を見に行き、五感を研ぎ澄ませて、触りにおいを嗅ぎ目で見るという、全部がなければ歌えない。

テレビでは連日、押し寄せる津波、破壊された町々の悲惨な光景が繰り返し映し出された。その陰で過酷な救援活動をする人たちがいる。長渕は宮城県の航空自衛隊松島基地に行き、約1500人を前にギター1本で激励ライブを行った。

長渕 歌う場所がステージだけじゃダメなんです。自分から出掛けて行って、自分が社会に放った歌が、どう人々に響いていくのか。そして、人の痛みとか悲しみを感じられるようになった時に、連帯が初めて生まれるんです。

夏には東京電力福島第1原発の事故で避難生活を送る子供たちを、自分のふるさとの鹿児島に招待した。津波の記憶が生々しい子供たちを、南の海に連れて行った。

長渕 子供たちにああしろ、こうしろと言うのではなく、大人が率先して海に入って「遊ぶぞ!」と叫んだ。大人は、血がつながっていなくても仲間だ、ということを伝えたかった。子供たちは笑顔で防波堤から海に飛び込んだ。彼らももう20歳を超えたでしょう。何か心に残してあげられたならうれしい。

昨年10月3日に、東京・新宿の国立国際医療研究センターの屋上(ヘリポート)で、新型コロナウイルス感染症と闘う医療従事者への激励ライブを行った。同所は、コロナ禍の初期から最前線を担ってきた。ライブの許可のハードルは極めて高かったが、病院側の尽力もあり実現した。コロナ禍での不安と希望を歌った「しゃくなげ色の空」など6曲をギター1本で歌った。震災時の自衛隊激励ライブの思いと重なった。

長渕 10年を振り返った時、震災で直接打撃を受けた方たちが、力を合わせて立ち上がった。言葉では表現できない残酷で無念な思いを共有した人間の力を、まざまざと感じた。僕は直接の当事者ではないかもしれないが、時代の中でとんでもないことが起きた時、そこをきちっと受け止めて、表現に落としたい。時代、時代の枠組みの中で、どう生きるか。僕にとって生きるとは、どう歌で立ち向かうか、なんです。

あの日から10年。長渕は今も変わらず、押し寄せる時代と闘っている。【笹森文彦】

◆長渕剛(ながぶち・つよし)1956年(昭31)9月7日、鹿児島県生まれ。78年「巡恋歌」で本格デビュー。「順子」「乾杯」「とんぼ」「しゃぼん玉」「RUN」などヒット曲多数。アルバムは「LICENSE」「昭和」「JEEP」「JAPAN」

「Captain of the Ship」の5作連続を含む12作品が1位獲得。最新アルバムは「BLACK TRAIN」。04年に鹿児島・桜島で、15年には富士山麓でオールナイトライブを開催。俳優、画家、書道家としても活躍。3月26日に「40th Anniversary LIVE TOUR 2019 太陽の家」のDVDとBlu-rayが発売される。

<長渕剛と東日本大震災>

▼散文詩 11年4月3日に「憎い 憎い」で始まる散文詩「復興」を発表。

▼ラジオ番組 同4月7日から被災地向けラジオ番組「長渕剛 RUN FOR TOMORROW~明日に向かって~」を開始(9月末まで放送)。

▼自衛隊激励 同4月16日に宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地で、約1500人の自衛隊員らを前にライブを行う。

▼1000人と合唱 同6月26日に宮城・石巻市の日和山公園で、被災した小学生ら1000人と「TRY AGAIN for JAPAN」を合唱。

▼被災児童とサマーキャンプ 同8月1日から1週間、福島第1原発事故の影響で避難生活を送る福島・浪江町の小学生20人を鹿児島・霧島市に招待。

▼チャリティーCD 同9月7日に「TRY AGAIN for JAPAN」を発売。全収益は被災した子供に寄付。

▼特別感謝状 自衛隊を激励する活動に対し、同12月20日に東京・市ケ谷駐屯地で、アーティストとして初となる特別感謝状を贈られる。

▼被災地から生中継 同12月31日、8年ぶり3回目出場の第62回NHK紅白歌合戦で、津波で甚大な被害を受けた石巻市の門脇小から生中継で未発表曲「ひとつ」を歌唱。

▼震災から1年 12年2月に福島第1原発から20キロ圏内の浪江町などを放射能防護服を着て訪れる。この模様は同3月11日にテレビ朝日系特別番組で放送。

▼震災アルバム 同5月16日に、「日本に生まれた」「カモメ」「明日をくだせえ」「ひとつ」など11曲収録のアルバム「Stay Alive」を発表。

▼再会 全国ツアー「RUN FOR TOMORROW」が同5月18日にスタート。同8月12日の福島・郡山公演で、鹿児島に招待した子供たち15人をステージに上げ再会。