今や主役と脇役の線引き曖昧…バイプレーヤーの歴史

日刊スポーツ映画大賞石原裕次郎特別功労賞を受賞した福本清三(14年12月)

<ニュースの教科書>

異色の映画「バイプレイヤーズ もしも100人の名脇役が映画を作ったら」が、4月に公開されます。往年の作品にも多くの名脇役はいましたが、今ではその個性ゆえにCM出演や番組司会者に抜てきされ、主演級の俳優より認知度の高い人も少なくありません。バイプレイヤー(脇役)のイメージも大きく変わりました。振り返ると、その変わり目にはスター俳優と名監督の確執がありました。【相原斎】

昨年放送された「半沢直樹」(TBS系)では、個性的な脇役たちがセリフ回しや顔芸を競い合って話題になりました。毎回見せ場が求められる連続ドラマにふさわしく、歌舞伎や現代演劇の人気者が次々に登場。迫力ある演技を披露しました。主演スターを格好良く見せることが何より大切だった往年の映画界だったら「悪目立ち」と監督に叱られたかも知れません。

ひとくちに脇役といっても、助演級から「大部屋俳優」と呼ばれた端役まで、その幅は広いのです。「スター映画」が量産されていた全盛期には、総じて脇役はひたすら「引き立て役」になることを求められました。そのことを肝に銘じてこその、名脇役だったのです。

従来の脇役イメージを覆したのは「仁義なき戦い」シリーズ(73年~)ではないかと思います。「ピラニア軍団」の登場です。

東映の大部屋俳優だった岩尾正隆(78)川谷拓三(1941~1995年)志賀勝(1942~2020年)が「ピラニア会」と銘打った忘年会を開いていたのが始まりで、スター候補といわれながら芽が出ていなかった室田日出男(1937~2002年)や、小林稔侍(80)片桐竜次(73)成瀬正孝(71)らが加わりました。

深作欣二監督(1930~2003年)が彼らの個性を面白がり、菅原文太(1933~2014年)松方弘樹(1942~2017年)渡瀬恒彦(1944~2017年)ら主演級だけでなく、端役のチンピラまでがギラギラと個性を光らせたことで「実録路線」と呼ばれる、リアルなタッチが生まれました。

脚本家の倉本聰(86)もこの軍団が気に入り、ドラマ「前略おふくろ様」(75~77年)に起用したことで、ピラニアブームが起こります。「バイプレイヤーズ」の出演者の例を挙げるまでもなく、今やドラマから情報番組、バラエティーまで幅広く活躍する「魅力的な脇役たち」の元祖といえるでしょう。

「スター映画」の時代から深作監督は脇役の演出にこだわりました。切られ役ひと筋の名脇役で、今年1月に亡くなった福本清三は7年前の取材で明かしています。

「いつも『おい』『そこ』と呼ばれていたわしら大部屋俳優のことを、初めて名前で呼んでくれたのが深作監督でした」

「仁義-」からさかのぼること10年。高倉健(1931~2014年)主演の「ジャコ万と鉄」(64年)の撮影現場でのことです。当時の監督は主演級にだけ演技を付け、その他大勢は台本もなしにメインの俳優の動きに合わせて動くのが当たり前でした。端役の動きまで綿密にチェックを繰り返す深作監督に、福本は「自分たちは撃たれるときも斬られるときも(指示がなくても)かっこよくできる。なぜ細かい指示を出すのか?」と尋ねます。監督は「(大部屋俳優には)台本が渡されない。だから殺される状況や背景を知る必要がある。スクリーンの隅々までみんなが個性を出して欲しいんだ」と、福本を感激させます。

脇役の動きを細かく決めれば、主役の動きも固定されます。それまではベテラン監督たちから、自由に動きをまかされ、文字通りスクリーン狭しと個性を発揮してきた高倉はこれを窮屈に感じ、不満を募らせました。日ごろは文句ひとつ言わない寡黙な男が「深作の押しつける演出はもう嫌だ」と旧知のプロデューサー吉田達に漏らしました。深作監督も周囲に「あんな下手な役者は2度と使わない」とこぼしています。共に東映の看板を背負った2人の顔合わせが、たった2作しかなかったゆえんです。

高倉は遺作の「あなたへ」(12年)に至るまで、深作監督とは対照的な演出で知られる降旗康男監督(1934~2019年)との深い信頼関係のもと「スター俳優」であり続けました。

誤解のないように付け加えれば、高倉ほど共演者からスタッフ1人1人まで大切にする人はいません。深作監督との確執は映画の撮り方を巡るものであり、当時もその後も共演者で高倉を悪く言う人はいません。

他の撮影所でも同じようなことが進行していたと思います。その中で、高倉と深作監督の確執は、後の脇役イメージ転換の芽として象徴的な出来事だったと思います。

先月発表のブルーリボン賞で主演男優賞となった草なぎ剛(46)は「やりましたね! 高倉健さんや大杉漣さんに報告したかった」と恩人の名前を挙げました。

2人を並列して挙げたところがいかにも今風でした。高倉とは対照的に、ドラマ版「バイプレイヤーズ」出演中に亡くなった大杉は「カメレオン俳優」の異名を持つ文字通りの名脇役だったからです。草なぎのコメントは、今や主役と脇役の線引きが曖昧で意味のないものになったことを物語っているのだと思います。(敬称略)

※草なぎの「なぎ」は弓ヘンに前の旧字体その下に刀

◆相原斎(あいはら・ひとし) 1980年入社。文化社会部では主に映画を担当。黒沢明、大島渚、今村昌平らの撮影現場から、海外映画祭まで幅広く取材した。著書に「寅さんは生きている」「健さんを探して」など。「ラストサムライ」(03年)で福本清三の斬られっぷりを目の当たりにしたトム・クルーズ(58)が「ハリウッドにおいでよ」と声を掛けたことが、忘れられないエピソードとなっている。

◆バイプレイヤーズ もしも100人の名脇役が映画を作ったら 17、18年、そして今年1月にテレビ東京系で放送された人気ドラマの映画化。個性的な脇役たちの目を通し、映画やドラマの舞台裏を描く。田口トモロヲ、松重豊、光石研、遠藤憲一のドラマおなじみのメンバーに加え、浜田岳、菜々緒、有村架純、天海祐希、役所広司らが出演。大杉漣も写真で登場する。松居大悟監督。

■ますます貴重な存在に 現代の名脇役・渋川清彦

脇役にとっての勲章が、各映画賞の助演男女優賞です。

過去5年の日刊スポーツ映画大賞の助演賞を振り返ってみると、男性は妻夫木聡(40)が2回、他は役所広司(65)高橋一生(40)渋川清彦(46)です。女性は宮崎あおい(35)尾野真千子(39)樹木希林(1943~2018年)市川実日子(42)渡辺真起子(52)という顔触れでした。

「名脇役」と呼ぶにふさわしいのは渋川、樹木、渡辺くらいでしょうか。残りの人たちには主演作の方が先に頭に浮かびます。

前回のブルーリボン賞で主演男優賞となった中井貴一(59)は、29歳で同賞を取った父佐田啓二(1926~1964年)をしのび「デビュー40年でようやくおやじのところにたどり着いた」と喜びを明かしました。さらに「僕は助演賞(95年、日本アカデミー賞)もいただいている。父が取れなかったものです」と続けたのです。

文字通りの「スター俳優」だった佐田は助演賞には縁がありませんでした。中井のコメントは、主演と助演の間に明確な線引きがあったスター映画の時代と現代の違いを端的に示していると思います。

一方、個性と技量でワンシーンでも印象を残す現代の名脇役の典型が渋川です。18~20年の3年間で出演映画24本、連続ものを含めドラマは13本に上りました。出演作の公開日がかぶった18年の7月には初日舞台あいさつを掛け持ちする姿も目の当たりにしました。多くの監督がこぞってオファー、配信ドラマも加わった現代で、ますます貴重な存在となっています。