「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界遺産登録へ 謎に満ちた縄文の魅力聞く

三内丸山遺跡のシンボル、高さ15メートルの掘立柱建物。改修工事が終わり、7月から再び公開される(JOMON ARCHIVES提供 青森県教育委員会撮影)

<ニュースの教科書>

「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録される見通しになりました。7月16日から開かれるユネスコ世界遺産委員会で正式に決定し、国内では最古の世界文化遺産になります。人類は農耕・牧畜とともに定住を始めましたが、縄文人はユニークで、狩猟・採集をしながら定住生活をしていました。稲作が始まる弥生時代まで1万年以上続いた謎に満ちた縄文の魅力をフリーペーパー「縄文ZINE」の望月昭秀編集長(49)に聞きました。 ◇  ◇  ◇

世界遺産に登録するようユネスコに勧告したイコモスは「北海道・北東北の縄文遺跡群」について、「農耕以前の定住社会と複雑な精神文化を示す」と、その価値を評価しました。稲作が始まるはるか前、狩猟、採集生活だったにもかかわらず、縄文人は獲物を追って移動せず、定住していました。一方で海を渡って交易し、津軽海峡を挟んで同一の文化圏をつくっていました。竜飛崎から北海道まで約20キロ、大間崎からでも約19キロ離れています。

望月編集長 縄文時代は地域性が強くて土器の文様も地域によって違います。例えば縄文中期だと中部高地(八ケ岳を中心とした長野や山梨)は派手な土器ですが、北海道、北東北は地味な円筒土器。土器からもこのエリアが共通の文化を持っていたことが分かります。北海道産の黒曜石が東北で使われ、秋田産のアスファルトが北海道で出てきます。彼らの感覚としては津軽海峡は対岸が見える「しょっぱい川」で、遠く離れているとは思っていなかったんだと思うんです。自分たちの航路ができ上がって、石とか重い物を運ぶには舟の方が楽で便利くらいに思っていたんじゃないかという気がします。

縄文時代は文字がない先史時代です。絵を描いて残すこともありませんでした。このため、謎は多く、土偶は何のために作られたのか、なぜ一部が欠けているのか、はっきりしたことは分かっていませんし、農耕が始まっていないのに定住生活していた理由も不明です。

望月編集長 自然に合った生き方が定住だったのだろうと思います。氷河期が終わって獲物はナウマンゾウやオオツノジカから小型の動物に変わった。植生も変化して落葉広葉樹の森が広がって、堅果類(クリ、クルミ、ドングリなど)が手に入るようになった。それに合わせてカスタマイズしていったのだろうと思います。獲物を追う移動生活だと大きな荷物は持てませんが、定住するようになると、土器が発明された。世界でも最古クラスです。

大平山元遺跡(青森県外ケ浜町)から出土した土器片は1万5000年前のもので、北東アジア最古であることが確認されています。粘土で形をつくり、火を使って化学反応を起こすという人類にとってエポックメーキングな発明を、津軽半島の先端に住んでいた縄文人はしていました。土器ができたことで水や食料が保存できて、ドングリのアク抜きしたり、貝を煮たりすることもできるようになります。

望月編集長 漆製品も世界最古です。垣ノ島遺跡(北海道函館市)で発掘された漆製品は9000年前のもので、中国の跨湖橋(ここきょう)遺跡(7600年前)や河姆渡(かぼと)遺跡(6200年前)よりも古い。漆の精製ってそんなに簡単じゃないのに、9000年前に彼らは現代とほとんど変わらない手順で精製していたんです。

「北海道・北東北の縄文遺産群」を構成する17遺跡は時代も特徴も違いますが、1万年以上続いた縄文時代の大きな流れが分かります。

望月編集長 縄文時代の最初から最後まで、各時代各時代の重要な物を残していて、縄文時代を俯瞰(ふかん)できるエリアです。自然に根付いた、ここでないと生まれなかった文化です。どんなに環境が変化しても、それに合わせて文化をつくっていく、人ってすごいなと思えることが僕らが暮らしている日本列島で起き、人類の足跡として世界共通の財産となることは素晴らしいと思います。

三内丸山遺跡(青森市)のシンボル、高さ15メートルの大型掘立柱(ほったてばしら)建物は改修工事が終わり、7月1日から再公開されます。17遺跡にはストーンサークルの大湯環状列石(秋田県鹿角市)や、東日本全体に広がった亀ケ岡文化を生んだ亀ケ岡石器時代遺跡(青森県つがる市)など有名遺跡がそろいます。ワクチン接種が進み、コロナ禍が一段落したら、足を延ばしてみるのもいいかもしれません。

望月編集長 広範囲なので簡単には回れなくて、効率よく回ってどれくらいかかるか計算してみたら、1週間でした。でも実は遺跡って何もない場所なんです。地元の温泉とかおいしい物とか、楽しむ時間をたんまり残してゆったり回るのがお勧めです。【中嶋文明】

◆世界遺産 ユネスコ総会で1972年に採択された世界遺産条約に基づき、78年に登録が始まり、ガラパゴス諸島(エクアドル)、イエローストン国立公園(米国)などが第1号になった。日本は条約に批准したのが92年(世界125番目)と遅く、93年の「白神山地」「屋久島」(自然遺産)、「法隆寺地域の仏教建造物」「姫路城」(文化遺産)から登録が始まった。世界でこれまで登録されているのは1121件(文化遺産869件、自然遺産213件、両方の価値を兼ね備えた複合遺産39件)。イタリア、中国が55件で最も多く、日本は23件で12位。今年、登録が勧告された「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」と「北海道・北東北の縄文遺跡群」が登録されると、25件になる。

◆世界遺産への道 文化庁に候補物件として選定され、暫定リストに記載されるかどうかが最初の関門で、暫定リストからユネスコへの推薦候補が選ばれる。文化遺産はイコモス(国際記念物遺跡会議)、自然遺産は国際自然保護連合が審査し、ユネスコに勧告。ユネスコ世界遺産委員会で正式決定する。「北海道・北東北の縄文遺跡群」の場合、06年に青森県などが「青森県の縄文遺産群」、秋田県などが「ストーンサークル」を文化庁に提案したが、継続審議になり、07年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」として4道県で再提案した。09年に暫定リスト入りしたものの、推薦は見送られ、18年にようやく国内推薦候補に選定された。現在、「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」などが推薦を待ち、「阿蘇カルデラ」「立山砂防」などが暫定リスト入りを目指している。

◆縄文時代 氷河期の終わりとともに旧石器時代が終わり、約1万5000年前に始まった。急激な温暖化で海面は現在より高く(縄文海進)、ピークの約6000年前の気温は現代より2~3度高かったとされる。「縄文」は大森貝塚を発見したモースが縄目模様の土器を「cord marked pottery(縄の跡がある陶器)」と名付けたことに由来する。遺跡は全国約9万カ所で見つかり、土偶は東日本を中心に約2万点出土している。筋肉質で彫りが深く、成人男性の平均身長は157センチ、女性は147センチ。稲作が始まる約2400年前まで続いた。

◆中嶋文明(なかじま・ふみあき)81年入社。一番好きなのは火焔型土器です。モースが大森貝塚を発見して縄文研究の幕が開いたのが1877年(明10)。岡本太郎が東京国立博物館で縄文土器と出合って、「芸術だ」と爆発し、縄文の美が再発見されたのが1952年(昭27)です。モースが約140年前、岡本太郎が約70年前、そして今年、世界遺産。70年の大きなサイクルとともに、縄文がきています。