日本の映画賞それぞれに個性と歴史 まね事批判から「映画人のための賞」へ

19年度のブルーリボン賞授賞式。前列左から松坂桃李、門脇麦、舘ひろし、松岡茉優、南沙良、後列左から新垣結衣、上田慎一郎監督、白石和弥監督、佐藤英之氏、阿部サダヲ

<ニュースの教科書>

秋は文芸映画のシーズンと言われます。年末から年始にかけて映画各賞の選考と表彰が集中するので、選者の印象に残りやすいこの時期に「賞狙いの作品」が公開される傾向があるのです。興行成績が「実」なら、こちらは「名」。日本の映画賞にもそれぞれに個性があり、歴史があります。【相原斎】

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米国では夏の大作シーズン終了とともにアカデミー賞狙いの作品がズラリとラインアップされます。日本ではそれほど露骨ではありませんが、実際の受賞作にその傾向が見て取れます。

昨年の日本アカデミー賞最優秀作品賞となった「ミッドナイトスワン」はこの年の9月末に公開。過去5年の受賞作品はいずれも夏以降に封切られています。これからご覧になる映画が受賞作となる可能性が高いわけです。

では、各賞はどのように選ばれるのでしょうか。もっともよく知られているのが毎年テレビ中継があり、44回を数える日本アカデミー賞だと思います。米国の「本家」に倣い、映画産業従事者の会員(3959人=19年度)の投票によって選出されます。評論家やジャーナリストが選者となる他の賞とは違い、「映画人による映画人のための賞」であるわけです。創設当初は黒沢明監督が「(米)アカデミー賞のまね事で何の権威もない」と評すなど、批判的な声が多く、大手映画会社の「組織票」が賞の行方を左右するとの指摘もありました。

が、回を追ってそんなイメージは払拭(ふっしょく)され、「万引き家族」「新聞記者」「ミッドナイトスワン」と直近3年間の最優秀作品賞は大手4社以外の映画が受賞しています。撮影、照明、美術、録音など「技術賞」に厚いのも特徴で文字通りの「映画人のため賞」となっています。

同じ投票のみによって決定するのが、94回を数え「世界最古クラスの映画賞」と言われるキネマ旬報ベスト・テンです。こちらは評論家、新聞記者、雑誌編集者などから選ばれた120人の選考委員が邦洋それぞれ10本の作品を選んで順位付けし、投票します。第29回(55年度)からは日本映画監督賞や主演男女優賞など、個人賞も選出するようになりました。

最近でも「海街diary」(是枝裕和監督)が各賞を席巻した15年度に、この賞だけは「恋人たち」(橋口亮輔監督)を1位選出(海街-は4位)するなど、「玄人好み」の色合いが濃いのも特徴です。

もっともポピュラーなのが、投票によるノミネート作品の中から、選考委員が合議制で選出する方法です。毎日映画コンクール(75回)ブルーリボン賞(63回)報知映画賞(45回)、そして日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞(33回)がこれに当たります。

ブルーリボン賞は東京映画記者会(在京スポーツ7紙の映画担当記者で構成)の選出です。撮影現場で監督や俳優を取材する新聞記者による選考です。作品に取り組む姿勢など、製作過程のあれこれが選考結果にまったく反映されないと言ったらうそになります。そういう意味では、撮影現場のスタッフが選ぶ日本アカデミー賞にやや近い感覚があるのかもしれません。「純粋に作品の質で選ぶ」という原理原則からは少しばかり外れるかもしれませんが、これも映画賞の本質の1つだと思います。

「東京裁判」(小林正樹監督)が作品賞となった83年度の選考会は、今でもよく覚えています。第1回の投票でこの作品に入れたのは三十数人の会員の中でただ1人でした。4時間を超すこのドキュメンタリー作品をこの時点で見ていなかった記者も少なくなかったと思います。

正直に言えば、私もその1人で、作品賞は「家族ゲーム」(森田芳光監督)と心に決めていました。が、そのたった1人の記者の熱弁で、ショッキングなシーンの数々や、膨大な記録フィルムを5年かけて編集した小林監督の執念の姿が頭に浮かびました。現場を知る記者ならではの想像がこういう時に働いてしまうのです。どの作品も過半数に至らず、投票回数を重ねるごとに「東京裁判」は票を増やしました。決選投票ではとうとう私も見ていなかったこの作品に1票を投じてしまったのです。

後からこの作品を見て心が震えました。入れて良かったと思っています。合議制の「問題点」という人もいるでしょうが、1人の熱意が動かす賞があってもいいのではないでしょうか。

記者会の主催ですので、お金はありません。賞金はなく、贈られるのは賞状と副賞のモンブランの万年筆だけですが、受賞者の皆さんには、授賞の際に説明する選考過程も含めて喜んでいただいています。前回はコロナ禍で授賞式は中止となりましたが、前年の主演男女優賞受賞者に文字通り手弁当で司会進行役を務めていただくのも恒例となっています。

16年度の授賞式では幹事社として前年主演賞の大泉洋さん、有村架純さんの2人と司会進行の打ち合わせをする機会がありました。ノーギャラにもかかわらず、アドリブ力で場を盛り上げようという大泉さんの熱意と、作品名の読み方のイントネーションまでこだわった有村さんの熱心さに感激しました。

授賞式の見どころの1つが華やかな衣装ではないかと思います。前年の全受賞者にプレゼンターを務めていただく日刊スポーツ映画大賞では、この華やかさが倍になります。一方で、女優さんの立場になれば、年末年始に集中する授賞式で、それぞれに目先を変えなくてはいけないし、何より同じ舞台に立つ他の女優さんとの「かぶり」も避けなくてはならないのでたいへんです。

日刊スポーツ映画大賞で16年度主演女優賞となった宮沢りえさんには、プレゼンターをお願いした翌年も含め、感心させられました。各賞受賞者には個別の控室が用意されているのですが、いち早く会場入りした宮沢さんは、他の女優さんの到着を待って、スタッフの女性をそれぞれの控室に派遣して「衣装」の聞き取りをします。その色と形を把握した上で、かぶらないように、プレゼンターの場合は受賞者より目立たないように自分の衣装を決めるのです。そのためには数パターンのドレスを用意しなくてはなりません。主催側の1人として頭の下がる思いでした。

選考にも授賞式にも、映画賞には表に出ないさまざまな思いが詰まっているのです。

<石原裕次郎賞、田中絹代賞、山路ふみ子映画賞…個人名冠した賞も>

日本の映画賞には個人名を冠した賞も数多くあります。石原裕次郎賞は戦後日本を代表するスターの遺志を引き継ぐ形で、裕次郎さんが亡くなった翌88年、日刊スポーツ映画大賞の創設とともに始まりました。その年もっともファンの支持を得たスケールの大きな作品に贈られる賞で、石原プロモーション(現ISHIHARA)からの副賞300万円も他の賞にはないスケールです。同新人賞は裕次郎さんをほうふつとさせる大型新人に副賞100万円とともに贈られます。

受賞者には第1回の緒形直人から、高嶋政伸、木村拓哉、長瀬智也、オダギリジョー、岡田准一、松田翔太、高良健吾、松坂桃李、東出昌大、竹内涼真、岡田健史らそうそうたる顔触れがならんでいます。

往年の名女優を記念した田中絹代賞は85年に毎日映画コンクールに創設。第1回の吉永小百合から、倍賞千恵子、三田佳子…と名実ともにその年を代表した女優が受賞しています。

映画草創期の活躍から実業家に転身、財をなした山路ふみ子の文化財団が主催しているのが77年から始まった山路ふみ子映画賞です。毎年、映画界の功労者を表彰し、87年度から女優賞が創設されました。

松竹会長、プロデューサーとして知られた城戸四郎の持論「脚本の受け持つ責任は極めて大きい」から、75年に制定された城戸賞は脚本家の登竜門として定着しました。東宝の初代社長でプロデューサーの藤本真澄の功績をたたえて創設された藤本賞は、第1回(81年)の角川春樹以来、映画プロデューサーを表彰する唯一の賞となっています。

◆相原斎(あいはら・ひとし)1980年入社。文化社会部では主に映画を担当。黒沢明、大島渚、今村昌平らの撮影現場から、海外映画祭まで幅広く取材した。著書に「寅さんは生きている」「健さんを探して」など。いつもユーモアを忘れなかった森田芳光監督(11年61歳没)が「日本の映画賞は音楽賞に比べて貧乏くさい。でも、それも悪くないかもしれない」と話していたことが心に残っている。