ウクライナ人ユーチューバー・サワヤン、軍事侵攻広がる“母国”へ葛藤、心境語る/スピーチ全文

日本外国特派員協会で会見を開いたトカチョフ・サワさん(右)とヤンさん(撮影・沢田直人)

日本在住のウクライナ人ユーチューバー「SAWAYAN(サワヤン)」ことトカチョフ・サワさん(26)とヤンさん(20)兄弟が31日、都内の日本外国特派員協会で会見を開き、軍に入隊した父親への思いや「義勇兵」に志願した理由、若者に向けた発信を続けることの葛藤などを語った。ヤンさんのスピーチは以下の通り。

 

「やっぱり始まった」。その瞬間僕の頭の中は真っ白になった。2022年2月22日、キエフにいる父親から、その一言だけが書かれたメールが届いた。それはロシアのウクライナに対する軍事侵攻開始を意味するものだった。

何が起きているのか、全く気持ちの整理ができないまま、僕はすぐに父親に電話をかけた。受話器の向こうに聞こえてくる父親の声に、今まで感じたことない緊張感があった。

父親の状況、親戚の状況、友人の状況、街の状況、聞けるものは全て聞きたかった。「取りあえずは大丈夫だ」と父親から言われ、僕は突然襲われた絶望感の中にわずかな安心感を覚えた。

しかし、その日から僕のわずかな安心感は徐々に押しつぶされることになる。多くの命が犠牲になる終わりの見えない、戦争が始まったからだ。

ウクライナ人の両親のもと、兄は4歳から日本で育ち、僕は日本で生まれて育った。兄は来日した当初、言葉が通じず、慣れない環境に苦しんだという。父親はそんな兄に「ウクライナ人であることを誇りに思え」。そのような言葉を掛けていた。この言葉は日本で生まれ育った僕もよく父親から耳にした。

当時はその言葉が意味するものを完全には理解することができず、なにげなく受け取っていた。しかし、不思議とそれを聞く度にどこか心の底から、力が湧き出るような感覚があったのを今でも覚えている。幼い頃の僕はその言葉の真意がわからずとも、何か壁にぶつかった時は、自分に言い聞かせるようにしていた。

そうして月日は流れ、兄は社会人となり、僕は大学に入学した。会社員として働いていた兄は、強いもどかしさを感じながら生活していた。もっと自分のバックグラウンドを生かす場所があるのではないか。もっと多くのことを日本という国に還元できるのではないか--。

その思いから兄はユーチューバーになることをある日決意する。「俺、会社を辞めてユーチューバーになる。ヤンも一緒にやろう」。日本という国が大好きだからこそ、日本という国の魅力をより多くの人に伝えたい。そのような思いで、僕らはユーチューバーとして動画を配信し始めた。

ユーチューバーとして活動を始めて2年がたち、合計のチャンネル登録者数は200万人を超えた。この数は今でも実感がわかないものであり、感謝してもしきれないものだった。

ここからさらに活動を大きいものにし、より多くの人に自分たちの人に自分たちの動画を見てほしい。そのような思いで胸を膨らませていた時、それは始まった。ロシアの軍事侵攻だ。

仕事の都合で2カ月程前に、キエフに戻っていた父親からの連絡で、僕はそれを知ることになった。あまりにも突然の出来事だった。頭が真っ白になっていく感覚と同時に、僕は父親の声が聞きたくなった。

僕は急いで電話をかけた。父親はすぐに電話に出た。父親の声が聞こえる。それだけで僕はホッとした。しかし、父親の声は今まで聞いてきたものとは違った。強い怒りや憎しみ、そして何かを覚悟したような声で、淡々と僕に現地の状況を伝えてくれた。

最後に「取りあえずは大丈夫だ。安心しろ」と言って彼は電話を切った。僕はいまだ気持ちの整理がつかないままだった。現実なのだろうか。夢ではないのか。

そんな思いが頭を駆け巡る中、僕はテレビをつけた。だが、そこに写った光景は僕の思いを一瞬にして打ち砕いた。現実だった。体中から血の気が引いていき、しばらくその場から動けなくなった。今まで重ねてきていた何かが僕の中で崩れていった。

ウクライナには数回しかいったことがなかった。それでもウクライナ人の血が流れている自分にとって、それは母国であることに変わりはなかった。自分がこうして、日本にいる間にも、なじみのある街は破壊され、自分と同世代のウクライナ兵が命を落としている。考えれば考えるほど、大きな無力さに襲われ、涙がこぼれ落ちた。

そして自然と自分も戦いたい。ウクライナのためなら命をかけてもいい。そんな思いが増していった。

戦争が始まってからウクライナでは総動員令が出されたため、父親は国外に避難することができなかった。ただ、親戚の安全を確保する必要があったために、首都キエフを離れ、比較的安全な地域に避難した。

父親とは毎日連絡を取り合っていたが、ある日電話で「俺は戦いに行く。絶対にこの国を守る」と僕に戦争に行くことを告げた。僕は止めなかった。止めても絶対に父親は行くと分かっていたからだ。

続けて「ウクライナ人は絶対に負けない」と僕に力強く言った。その時、幼い時に言われていた言葉を思い出した。

「ウクライナ人であることを誇りに思え」

その瞬間その言葉の意味をようやく理解することができた。どんな困難にぶつかっても、国を守るため、家族を守るために戦う。これがウクライナ人として生まれた瞬間から体内にある炎なのだと。

そんな中、兄から義勇兵に志願することを動画で公表しようという提案がきた。兄にも同じ思いがあったのだ。僕らはすぐに動画を撮り公開した。動画は大きな反響を呼んだ。

「戦争に行く決意をしたのは勇敢だ」「戦争には絶対に行かない方が良い」「動画で発信し続ける方が貢献できる」

さまざまな意見がコメント欄で飛び交った。

視聴者のさまざまな思いは痛いほど伝わった。しかし、そうするしかなかった。父親からもすぐに連絡が来た。

「お前たちが本当に誇らしい。でも、俺はキエフよりも、東京の地で自分の息子たちと再会したい」

僕は何とも言えない複雑な感情に襲われた。どうしてこうなってしまったのだろうか。つい最近までの日常はどこに行ってしまったのだろうか。戦争が本当に憎かった。

数日後、父親は軍に入隊した。迷彩服を身にまとい、銃を肩にかけていた。写真に写る父親は、今まで見たことがない姿だった。

「お前たちが息子で本当に良かった。この人生に後悔はない」

そのようなメッセージが送られてきた。「絶対に嫌だ」。心の中で何回もこの言葉を繰り返した。

父親がキエフに旅立つ前日、2人でお酒を飲み交わした記憶がよみがえる。あれが父親と会った最後の日になるかもしれない。納得がいくわけがなかった。そんな考えが脳裏をよぎってしまった自分を殴りたかった。

「僕らはお父さんのそばにいるよ。絶対に勝てるよ」

涙をこらえ、震える手で文字を打ち、父親にメッセージを送信した。

戦争を止めるために僕らには何ができるのだろうか。兄はゲーム実況を通じて現地の情報発信、募金活動の呼びかけや、チャリティーイベントを行っている。当初はゲームをしながら、そのようなテーマに触れていいのか、そのような迷いが彼にはあった。

しかし、ゲームというなじみのあるコンテンツだからこそ、若い世代を始め、より多くの人に思いを届けることができるようになるのではないかと考えたという。

批判の声ももちろんあった。誹謗(ひぼう)中傷も絶えなかった。それでも兄は声を上げることをやめなかった。結果、子どもたちが平和について考えるようになった。「社会情勢について考えるきっかけを作ってくれてありがとう」。そのような声が多数寄せられた。現実から目を背けることは簡単だ。問題と向き合うのか。または、傍観者になるのか。決めるのは自分自身である。

現在世界は大きな分岐点に直面している。こうして時間が過ぎている時間にも、罪のない人たちの命が奪われている。「21世紀に戦争なんて絶対に起こらない」。その絶対が通用しないことはもう十分に分かったはずだ。

これ以上の犠牲を生まないために、世界中の人たちと、第1歩を踏み出したい。1人1人の行動が明日の未来を変える。どんなささいなことでもいい。あなたのその行動が世界を救うのだ。

1日でも早く、ウクライナに日常が戻るように、1日でも早く父親と再会出来るように、平和を願い祈りをささげる。ご清聴ありがとうございました。