ラジオ体操は奥が深い…広い世代にオススメできる柔軟効果 一方で「長寿社会の儀礼」消滅危機も

愛くるしい表情でラジオ体操をする原川愛さん(撮影・中島郁夫)

<オトナのラジオ暮らし>

夏の朝、どこからともなく聞こえるピアノ伴奏。ラジオ体操の季節がやってくる。ラジオ体操は、いつ始まって、どのように普及したのか。どんな効果があって、これからどうなるのか。まずは「テレビ体操」(NHK)で、この春まで8年間、アシスタントを務めた体操インストラクターの原川愛さん(32)と一緒に「のびのびと背伸びの運動」から。【取材=秋山惣一郎】

-テレビ体操のアシスタントを務めて8年。いかがでしたか

「小学校から大学まで新体操を続けてきたんで、初めは『ラジオ体操なんて簡単でしょう』と考えていました。でも甘かったですね。ラジオ体操って奥が深いんです。初めは全然、できませんでした」

-できない? 例えば?

「第1の腕を大きく回す運動は、等速じゃなくて、強く振り上げてストンと落とすイメージで回すときれいに見えます。グッと力を入れて、フッと抜いて柔らかく見せる。ラジオ体操は、筋肉を縮めて伸ばす繰り返しです。新体操の競技会と違って年齢も筋力も骨格も人それぞれ。みなさんの前に立って模範を見せる私には、ひとつひとつの運動の意味や目的を理解して、正しく体を動かすことが求められます。得点を競う新体操の現役時代とは、まったく違う感覚でした」

-難しいんですね

「いえいえ、一般の方は、気軽に楽しく、心地よく筋肉を伸ばしてもらえばOKです」

-近ごろは、ラジオ体操になじみのない人も増えているそうです

「知ってはいるけど、音楽が流れれば自然に体が動く、という若い人は多くはないかもしれません。小学生に新体操を教えているのですが、和式トイレでしゃがめない、前転の体勢が作れない、といった体の硬い子が少なくありません。母校(日本女子体育大学)でも膝や足首をけがする学生が多い。体育を専門に学んでいる者ですら、そうなのですから一般の方は、と考えると怖くなります」

-ラジオ体操は、効果がありますか

「第1は子どもからお年寄りまで幅広い世代に、第2は少し運動強度が高いので、中高生から働き盛りに向いています。いずれも全身のあらゆる筋肉を伸ばして血行を促進し、体の柔軟性を高める効果があります。ラジオ体操って、とてもよくできているな、と改めて感じます」

-毎日やらないとダメですか

「毎日、と言いたいところですが、『続けなきゃ』と思うと嫌になっちゃうでしょう。週1回から始めて、少しずつ増やしてはどうでしょう。続けていると、肩や腰の動き、呼吸など毎日の体の変化に気づく。健康のバロメーターになりますよ。1年ぐらい、気長に続けてみてください。柔軟性の高まりを実感できるはずです」

-テレビ体操を卒業して、これからはどんな活動を?

「大好きな新体操を追いかけて、高校、大学と進みました。苦しかったけど、楽しかったので続けられました。そんな経験を生かして、小学生から高齢者の方まで、体を動かす喜び、楽しさを伝える活動を続けていきたいな、と思っています」

◆原川愛(はらかわ・あい)1989年(平元)、宮崎県生まれ。日本女子体育大学大学院修了(専門は運動学)後の2014年(平26)から今年3月まで「テレビ体操」(NHK)のアシスタントを担当。現在は、全国ラジオ体操連盟指導委員、日女体大非常勤講師などを務める。趣味はプロ野球やサッカーなどスポーツ観戦。

■著書に「ラジオ体操の誕生」黒田勇・関西大名誉教授に聞く

ラジオ体操は、どのようにして生まれ、普及したのか。「ラジオ体操の誕生」の著書があり、メディア文化社会学が専門の黒田勇・関西大名誉教授に聞いた。

ラジオ体操は、逓信省簡易保険局(現かんぽ生命)が作り、1928年(昭3)に放送が始まりました。

目的は主に2つ。ひとつは簡易保険の普及、宣伝です。簡保は16年に創設されましたが、まだ制度への理解が浅く、広がりを欠いていました。もうひとつが国民の健康増進です。赤痢やコレラ、結核など感染症による死亡率が高く、事業の収益性が課題でした。公衆衛生、社会的な防疫体制の整備も急務となっていた。体操によって国民全体の健康増進を図ろうと考えられたのです。

逓信省の官僚が米国を視察し、現地の生命保険会社の取り組みを参考に作ったのが「国民保健体操(ラジオ体操)」です。新聞など活字メディアしかなかった当時、不特定多数に向け、同じ情報を同時に発信できるラジオは、画期的なニューメディアでした。

逓信官僚は、その機能に注目したのです。とはいえ、まだラジオ局が開局して3年で、受信機は都市部を中心に50万台程度。地方は郵便局員が講習会を開いて指導しました。

社会学では、時代の価値観や方向性とマッチして、当初の意図を超える効果を上げるものを「社会的親和性が高い」と言います。ラジオ体操は20世紀初めの日本社会との親和性が高かったゆえ、急速に広く普及したのです。

では、ラジオ体操は、どんな社会的親和性を持っていたのでしょうか。

当時は、健康増進とともに、身体を強く、大きくしなければならない、という考えが国民全体にのしかかっていました。日露戦争(04~05年)、第1次世界大戦(14~18年)を経験し、日本人は、欧米人に比べて小さくて貧弱な体に強い劣等感を抱いていた。西洋列強と戦うための強く大きい体が、国力増大につながる。そんな帝国主義的な発想が、指導者層から国民全体へと浸透していったのが、1920年代です。

時間を守るという意識の広がりも作用します。当時の日本人は、まだ多くが日の出日の入りを基準とする農村的な時間感覚で生きていました。しかし、工業化、社会の組織化が進む中で、規則正しく時間を守るという生活改善の目標が、官僚や軍隊から商店や工場勤務の都市住民にまで共有されるようになります。毎日定時に放送されるラジオ体操は、近代社会が求める時間感覚や規則性にマッチしていたのです。

1930年代に入ると、各地で有志によるラジオ体操の会が開かれます。しかし、国民が同じ時刻に集まって同じ動きをするラジオ体操は、全体主義と強く呼応します。日の丸掲揚、君が代斉唱、宮城遥拝といった国家主義的儀礼が同時に行われ、国民の動員に利用されていく。40年代には、むしろ体操より儀礼に重きが置かれるようになって、簡保の宣伝、健康増進というラジオ体操の意義は大きく変容していったのです。

戦後は、連合国軍総司令部(GHQ)に全体主義的だとみなされ、放送中止に追い込まれます。46年に考案された新しい体操は、短命に終わりました。再びGHQの意向が働いたとか、難しくて人気がなかったとか、さまざまな理由が語られますが、はっきりしたことは分かっていません。

サンフランシスコ講和条約に日本が調印した51年、現在のラジオ体操第1の放送が始まります。第2は52年です。ラジオ体操の規則正しい集団性は、国家主義に代わって登場した戦後の企業社会にもぴったりとはまります。学校や生活の場でも規範順守の象徴として、戦後の日本社会にも広く受け入れられました。

しかし、今はどうでしょう。ラジオ体操の参加者は、ほとんどが高齢者です。私は「長寿社会の儀礼」と名付けていますが、地域の高齢者が互いの存在と健康を確認しあう場になっています。学校では、日常的な準備運動としては軽視され、スポーツ科学に基づいたエクササイズに取って代わられている。現在、ほとんどの子どもたちはラジオ体操をよく知らないのです。近隣から「うるさい」と苦情を寄せられ、「子どもはゆっくり寝かせたい」という保護者も少なくない。地域でのラジオ体操開催のハードルも上がっています。

ラジオ体操は、健康的で効果的な運動だと思います。地域をつなぐ役割にも期待したい。しかし、あの前奏が流れれば、自然と体が動くという世代は、これから少なくなります。ジムやダイエットなどの健康産業が極めて発達した現在、ラジオ体操は近い将来、消えていくのだろうと、私は考えています。