「神の使いのイルカだったはずなのに…」。今年7月から8月に福井県の海水浴場などで、人にかみつくなどしたオスのミナミハンドウイルカ。実は、20年8月以降、石川県珠洲市で「すずちゃん」の愛称で親しまれてきた野生イルカの可能性が高いことが分かった。名付け親で珠洲市三崎町寺家地区の歴史を研究する寺家歴史研究会の出村正幸会長(46)は「背ビレの欠け具合が一致している」とし、先月28日に福井県坂井市の東尋坊付近での目撃情報を最後に姿が確認されていない、すずちゃんの帰還を願った。
なぜ、神の使いなのか-。その由来は、江戸時代の歴史書「能登名跡志」に記されている「いるかの三崎詣(まい)り」伝説にある。獅子に乗って現在の珠洲市三崎町寺家地区を訪れた神様。ある朝、美しい日の出の太陽へと近づこうと「獅子、いるか?」と探したが、獅子は疲れて睡眠中。「いるか?」の声を聞いたイルカは自分が呼ばれたと勘違いし、神のもとへ。神がイルカを気に入り、使いに出世させた。獅子は翌朝、大きな岩へと姿が変わってしまったと書に伝わっている。獅子岩も現存する。その後、明治時代までは大きな神事の際には、海岸沿いにある三崎町寺家の須須(すず)神社鳥居前に「神の使い」とされるイルカが現れていたとされている。
近年では、珠洲市沿岸でイルカが最初に目撃されたのは20年8月1日だった。お盆時期は老若男女問わず、一緒に泳いだり、遊んだりして、同20日に一時、姿を消した。だが、近年は土日を選んだ開催になっているが、本来は中秋の名月に合わせて行っていた須須神社の例祭日の同年9月14日、鳥居前に再び出現。「神に導かれるように戻ってきた。伝説が現実になったと話題になった」。県社昇格慶賀祭が行われた1896年(明29)に数百頭のイルカが鳥居前に集まったことも「珠洲郡志」に記されている。
能登半島はミナミハンドウイルカ生息の最北限とも言われている。「100歳になる須須神社の氏子総代にお聞きしても『沖に行けばいるが、浅瀬で見たなんて聞いたことがない』とおっしゃるので、(20年のイルカの出現は)124年ぶりのイルカの三崎詣りだと思います」。須須神社は昨年9月から、神様がイルカに乗った様子を描いた「御朱印」の授与を開始。出村会長は「イルカ神話」を伝えるリーフレットや記念ポストカードなどを製作し、御朱印に添えて配布するなど、町おこしにも期待を寄せている。
能登半島周辺では縄文時代からイルカ漁の文化があり、今でも骨が発掘されることもある。だが、同神社のある寺家地区だけは「食すことはもってのほか。破れば重い病気になる」と、語り継がれているという。
すずちゃんは今年4月上旬を最後に珠洲市を離れ、同下旬には福井県へと移ったとみられる。「こちらでの1年半はトラブルもなく、人気ものだった」と懐かしむ一方、「福井では『かみつきイルカ』と呼ばれて、迷惑、悪者…。被害に遭った方にはお見舞いを申し上げたい」と語った。ただ、3年ぶりに行動制限が緩和され、大勢の海水浴客に囲まれたことも、トラブルになった原因の1つではないかとも推測し「防衛的なものもあったのではと感じました」と語った。
歴史研究家としての持論もある。「神の使いが獅子からイルカに変わった伝説が、今のコロナなどの時代の変革期に再注目されたことに意味があるのではないかと思っています。組織や権力を持つ者(獅子)だけでなく、個性や多様性を持つもの(イルカ)が認められるような時代になっていく、神様のメッセージのように感じました」。
10月に入って、珠洲市では「イルカムード」が再燃しつつある。10月頭には須須神社内で、明治時代に奉納されたとみられるイルカを描いた杯が発見された。同4日には海岸から100メートル以内の距離に約10頭のイルカの群れが確認された。出村会長は「1日には観光ボランティアガイドの方々に私からイルカの伝説を話したばかりなんです。イルカの群れが海岸から50メートルから100メートルと近い場所に現れたのも、とても珍しいこと。(1896年以来)126年ぶりかもしれない。すずちゃんも、例祭日に現れた時のように、今月なら10日の満月に合わせて、ひょこっと戻ってきてくれるんじゃないかな」と、再会できる日を心待ちにしている。【鎌田直秀】