高田文夫氏「ビバリー昼ズ」4月35周年 人が好き…だから人に愛される、ひとえに私の人柄です

ラジオへの思いをユーモアを交え語った高田文夫氏(撮影・滝沢徹郎)

<オトナのラジオ暮らし>

月曜から金曜まで、そんなこんなで午前11時半から生放送。この春、放送開始35年目に突入する「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」(ニッポン放送)のパーソナリティーは、ご存じお江戸名物、大目玉。高田文夫氏(74)が語る「ラジオ」「東京」「大衆芸能」。【取材・構成=秋山惣一郎】

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-「ビバリー」が始まったのは1989年(平元)春でした

「あのころは、むっちゃくちゃ忙しくってさ。オールナイトニッポンを(ビート)たけしさんとやって、『(オレたち)ひょうきん族』の台本書いて、(立川藤志楼で)落語の真打ちンなって、もうバッタバタでさ。その上、毎日、朝まで飲んでんだから、そりゃ倒れるに決まってますよ」

「で、88年の年末、40歳ン時に倒れまして、年が明けた2月。ここ(ニッポン放送)の局長が来て『どうすんですか』と声をかけてくれたんです。『テレビも舞台もだいたいのことはやったし、もうこの仕事、辞めようかなと思ってます』と答えたら、この局長ってのが人情家でさ、『お昼の時間を空けますから、大人向けにゆっくりしゃべりませんか』と。『お昼に生放送があれば、いくら何でも深酒はしないだろう』という配慮だったんですね」

-テレビからラジオに仕事の主軸を移した

「私もね、大学出て、テレビでイヤってほど(台本を)書いたけど、放送の何週も前に台本渡して、ディレクターがいて、セット組んで、カメラだなんだと段取り踏む間にどんどん他人の手が入って、自分がやりたいことと違うものができちゃうんですよ、テレビは。でも、ラジオは、たけしさんとオールナイトやってて感じたことですが、自分がおもしろいと思ったことをパッと言えば、そのまま伝わる。これは分かりやすくていいな、と」

-「ビバリー」には、豪華な出演者が日替わりでにぎやかに登場する

「私が大家で、店子(たなこ)がアッコ(松本明子)や(春風亭)昇太、清水ミチコ。八っつあん、熊さんだね。ヨタローの松村(邦洋)君、若旦那の東MAX(東貴博)。みんなが日替わりで出てきてワーワーパーパー、くだらないこと言って笑ってる。これ、長屋の暮らし、落語の世界だよね。東京の暮らし、文化でもある。最近は、東京も地方の人が増えて、街の暮らしや文化を教えてくれる人も少なくなったんで、そこは意識してます」

「だから、放送では時に口うるさく小言も言いますよ。祝儀をもらったけどまだお礼をしてない、なんて話になったら『お礼と出前は早いほうがいいよ』と。小言に『出前』と入れることで、コミュニケーションが柔らかくなる。聴いてる方は『そうか、お礼と出前は』と覚えるじゃない。江戸の人が好きな例えを入れて、人と人の付き合いを、笑いの中で教えていくのがいいなと思ってますね」

-スタート当初は若かった「店子」も今や大物

「みんな小僧っ子だったからね。二つ目だった昇太は今、(落語芸術協会)会長だし、清水ミチコなんか何年も武道館やってる大アーティスト。よそ行きゃ、みんなエライのに私の前では相変わらず『バカだね』なんて言われてますから。大家と店子の関係は変わりようがない。テレビはいくらでも作れるけど、ラジオはウソつけない。そんな関係性も全部分かっちゃう」

-12年、一時心肺停止で倒れ、番組最大の危機を迎える

「あん時は『番組も長くやったし、もういいかな』と思ったんですよ。そしたら、今の(檜原麻希)社長が来て『待ちますよ』と言ってくれた。大家の私がいない間は、店子のあいつらが、うまくつないでくれてね。番組を始める時に声をかけてくれた局長もそうだし、ラジオには『情』みたいなものがあるよね。だから好きなんです」

-復帰後も軽妙でスピーディーなトークは健在

「おふくろの血だね。おふくろは山の手は渋谷、鳶(とび)の頭の娘で威勢が良くってさ、ちゃきちゃきなんだよ。毎日、夕方ンなると、近所の人や兄貴、姉ちゃんの友達、お巡りさんもやくざもやって来る。みんな、おふくろの話が聞きたくて集まってくんの。で、毎晩、宴会。渋谷の街の話、戦時中の話。これが、とにかくおもしろいのよ。みんなケラケラ笑って聞いてる。人と人のコミュニケーションって、こういうことだなと思ったね」

「それでさ、おふくろの話に、私がかぶせてちょこっと何か言うと、これがまた受けるんだ。『文夫はおもしろいねぇ』『とんちが利くよぉ』なんて大人が喜んでくれる。人としゃべってんのが好き、人間が好きなんだよ、子どものころからさ。今もラジオでしゃべってる原点かもしれないね」

-原点は「人が好き」

「大衆芸術、大衆芸能というのは、常に大衆が相手。大衆に愛されないとダメなんです。どうやったら愛されるかというと、最終的には人間が好きっていうことだと思いますね。倒れるまで飲んでしゃべってたのも、そんぐらい人が好きだったから。人が好きだから人に愛される。番組が長く続いてるのも、ひとえに私の人柄です。これは自信持って言えます(笑い)」

-ラジオ、雑誌連載、演芸会のプロデュースなど今も幅広く活躍しているが、今後の活動は?

「大衆芸能を伝えられる人が同世代に、もういないんだよ。使命感っつうか、自分の中の宿題として、少しまとめておいたほうがいいかな、というのは感じてます。アンツル(安藤鶴夫=演劇評論家、小説家)、ああいうふうになりたいですね。芸人の好き嫌いをはっきり書いてね。味方半分敵半分、アンツル嫌いの芸人は大嫌いだけど、好きな人は本当に好き。東京の人間の潔さというか、ああいう気むずかしさもいいよね。はしゃいでる部分と妙に枯れてるところがあってさ。あの人の軽いエッセーなんか読むと、これがまたいいんだよ。街の昔話なんかを、ちょっとした文章でね。江戸文学とまでは言わないけど、東京のにおいのする、ああいうのが書ければいいな、とは思ってます」(おわり)

◆高田文夫(たかだ・ふみお)1948年(昭23)、東京都生まれ。日大芸術学部卒業後、放送作家として「スターどっきり【マル秘】報告」「オレたちひょうきん族」など数々の人気テレビ番組の構成を手がける。ラジオ「ビートたけしのオールナイトニッポン」では、たけしの相棒として出演した。ラジオパーソナリティーのほか、雑誌連載、書籍執筆、演芸会のプロデュースなど幅広く活動。21年、「ラジオビバリー昼ズ」公式HP上でブログ「おもひでコロコロ」を開始した。落語立川流真打ち。一般社団法人・漫才協会の外部理事も務める。

◆高田文夫のラジオビバリー昼ズ 月~金曜、午前11時半スタートの「昼休みのお笑いバラエティー」。1989年(平元)4月、放送開始当初の番組タイトルは「文夫と明子のラジオビバリー昼ズ」で、高田文夫氏と松本明子が全曜日のパーソナリティーを務めた。高田氏は現在、月、金曜のみ担当。月曜は松本明子、火曜は東貴博、黒沢かずこ、水曜は春風亭昇太、乾貴美子、木曜は清水ミチコ、ナイツ、金曜は松村邦洋、磯山さやかが出演する。