岸田首相が青木幹雄氏を悼む「日本の政治史に大きな功績」平成から令和の政局で大きな存在感

小渕内閣の官房長官や自民党参院議員会長などを務め、影響力の大きさから「参院のドン」と呼ばれた青木幹雄(あおき・みきお)氏が、11日午後8時35分、老衰のため川崎市内の施設で死去したことが12日、分かった。89歳。葬儀・告別式は、近親者のみで行う。喪主は自民党参院議員の長男一彦(かずひこ)氏。

島根県出身。同郷で早大雄弁会の先輩でもあった竹下登元首相の秘書や島根県議を経て、86年参院選で初当選した。99年、小渕内閣で官房長官として初入閣。00年4月、小渕恵三首相が脳梗塞で倒れた際には首相臨時代理として内閣総辞職などの対応に当たった。その際、後継首相を決める過程で自身を含む当時の自民党実力者「5人組」による水面下の協議が、「密室政治」と強く批判された。その後発足した第1次森内閣でも官房長官を務めた。

旧竹下派の流れをくむ平成研究会(現茂木派)の実力者として、政局観にもたけていた。03年自民党総裁選では、小泉純一郎首相の再選阻止に動いた野中広務元幹事長らと対立。自派の参院議員の票をまとめ、小泉氏再選に道筋をつけた。体調不良を理由に10年参院選に出馬せず、一彦氏に地盤を引き継ぎ政界を引退した。当選は4回。

引退後も政界に影響力を持ち、平成から令和に至る多くの政局で存在感をみせた。安倍晋三首相と石破茂元幹事長が戦った18年自民党総裁選では、石破氏の支持を自派の参院議員に指示した。与野党問わず人脈も広かった。

一彦氏によると、5月の大型連休明けから体調を崩していたという。昨年11月には、早大の後輩の岸田文雄首相や森喜朗元首相、小渕優子組織運動本部長らと会食し話題になった。岸田首相は、取材に「日本の政治史に大きな功績を残された。心から哀悼の意を表する」と悼んだ。