平和と日本人のため三波春夫は笑顔で歌った…世界に復興示し調和願う宝物の2曲 戦争体験が原点

20周年記念リサイタルで、子供たちと一緒に「世界の国からこんにちは」を歌う三波春夫さん(76年10月、東京・荒川区民会館)

<ニュースの教科書>

国民的歌手だった三波春夫(本名・北詰文司)さん(享年77)が、7月19日に生誕100年を迎えた。20歳で召集され、敗戦で旧ソ連のシベリアに4年間抑留された。その経験から、平和と日本人のために、笑顔で歌い続けた。ロシアによるウクライナ侵攻が今も続く中で、まもなく78回目の終戦記念日を迎える。代表曲「東京五輪音頭」と「世界の国からこんにちは」に込められた三波さんの平和への思いを、長女でマネジャーだった美夕紀さん(64)と振り返った。【笹森文彦】

■仲間のため

三波春夫さんは、東京・堀ノ内の妙法寺に眠っている。戒名は「大乗院法音謡導日春居士」(だいじょういんほうおんようどうにっしゅんこじ)。歌で大衆をよい方へ導いた人の意味が込められている。

長女で、現在は著作権などを管理する「三波クリエイツ」社長の美夕紀さんは「平和でなければ夢はかなわない。平和だからこそ、みんなが夢を追い掛けることができると、戦争に行ってしみじみ感じた。そして日本と日本人のために、という思いを一層強くしたのです」と語る。

新潟県で生まれた。父の事業の失敗で上京し、製麺工場や魚河岸で働いた。浪曲と出会い魅了され、日本浪曲学校に入学。16歳から浪曲師・南篠文若として活動した。20歳の時に陸軍に入隊し、旧満州(中国東北部)でソ連軍と戦った。伝令兵として駆け巡った。倒れた戦友が「お母さん」と、ソ連兵は「マーマ」と呼んだ。重戦車などソ連軍の圧倒的な兵力に対し、貧しい日本の装備に涙が流れた。敗戦後、極寒のシベリアで強制労働に耐えた。仲間のために浪曲を披露した。みんな泣いた。

4年後、京都・舞鶴港に帰還した。悲惨な戦争の経験は、復興への日本と日本人のために、という思いを強くさせた。浪曲師から歌手に転身した。「日本に生まれ日本に育ち、日本人の心にせめて楽しみをお送り申し上げたい。辛い涙が流れた時にせめて薄めて差し上げられる様な歌を、藝を、私は演じつづけたい」(芸能生活20周年記念リサイタルのパンフレット抜粋)が、信条となった。

■大ヒット

64年の東京オリンピック(五輪)のテーマソング「東京五輪音頭」(63年発売)は、各レコード会社競作の中で、三波さんの歌うテイチク盤が大ヒットした。三波さんは「あの戦争とシベリア抑留生活を体験した私にとっては、本当の意味での世界平和のお祭りの音頭を取るんだ、と心底思った。さあ、見てください。日本は、日本人はこんなに頑張って復興しましたよ、と示す晴れ舞台なんだ」と思って歌った。

歌詞に「ヨイショコーリャ 夢じゃない」とある。それを三波さんは「ヨイッショコーリャ」と弾んで歌った。「ヨイッショ!」と踏ん張って、頑張ってきた日本人の思いを込めた。美夕紀さんは「命を落とした戦友や、シベリアから一緒に帰って来られなかった人のことを思えば、何としても頑張って歌わなければ、と思っていました。だから自分の新曲より、この曲を一生懸命歌ったんです」と話した。

大阪での日本万国博覧会(70年)のテーマソング「世界の国からこんにちは」(67年発売)も、8社競作となり、やはり三波さんの曲が群を抜いてヒットした。大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」だった。作詞した詩人の島田陽子さんは「調和」と「平和」を強く意識した。生前「子供たちに、戦争中にはできなかった世界的な交流の場で外国文化に触れ、平和っていいものだ、と知ってもらいたかった」と話した。

歌詞にはメッセージが込められた。歌詞に「西の国から」「東の国から」とある。戦後の東西冷戦を想起させた。さらに「桜の国で」「1970年のこんにちは」と書いた。普通なら万博が開催される「1970年にこんにちは」だが、「に」ではなくあえて「の」にした。「桜の国」とはもちろん日本。日本での1970年のあいさつから、世界が調和し平和になりますように、と願った。

■宝物の2曲

三波さんバージョンは競作の中で唯一、子供たちとのコーラスで歌っている。歌詞に込められた真意を、コーラスで表現したのだ。美夕紀さんは「この2曲は、生涯の宝物と常々話しておりました」と話した。

21年の東京五輪で、「東京五輪音頭」のニューバージョンが歌われた。パビリオンの建設遅れなどが問題になっているが、2年後の25年には、再び大阪・関西万博が開催される。

ロシアによるウクライナ侵攻で、世界はかつての東西冷戦のような様相を呈している。「世界の国からこんにちは」のメッセージは、生誕100年を機にあらため注目されそうだ。

【参考文献】「昭和の歌藝人」(三波美夕紀著、さくら舎)「すべてを我が師として」(三波春夫著、映画出版社)「歌藝の天地」(同著、PHP研究所)「三波春夫でございます」(同著、講談社)

<三波春夫さんアレコレ>

▼生誕 1923年(大12)7月19日生まれ。家業は書店。タレント三波豊和(68)は長男。

▼浪曲師から歌手 戦後の娯楽の変化で、57年に「チャンチキおけさ/船方さんよ」で歌手デビュー。

▼芸名 三波は「人生の変転の波」「歌のメロディーの起伏の波」と、「石の上にも三年」の「三」をつけた。浪曲・歌・芝居の3つのジャンル(波)ともいわれている。

▼和服姿の男性歌手第1号 当時は男性歌手はスーツ姿で歌ったが、身ぶりなど浪曲師だった特性を生かすため和服姿になった。

▼初の歌手が座長の大劇場1カ月公演 60年3月に大阪・新歌舞伎座で芝居と歌謡ショーの2部構成で始める。以後、1月は御園座(名古屋)、3月は新歌舞伎座、8月は歌舞伎座(東京)を20年連続で行った。

▼切手になる 70年にリベリア共和国の大阪万博記念切手に和服姿で登場。

▼NHK紅白歌合戦 58年から29年連続31回出場。大トリ4回。

▼お客様は神様です 77年の20周年リサイタルで語った「舞台に立つ時は、澄み切った心で雑念を打ち払って、あたかも神様の前に立つかのような。お客様を神様と見て、私は舞台に立つわけでございます」が由来。漫才のレツゴー三匹がはやらせた。

▼長編歌謡浪曲 歌謡曲・浪曲・芝居の要素を融合した長尺曲。64年に北村桃児のペンネームで傑作「元禄名槍譜 俵星玄蕃」を作詞・構成。他に「豪商一代 紀伊国屋文左衛門」「奥州の風雲児 伊達政宗」などがある。

▼ヒット曲 前出以外に「雪の渡り鳥」「大利根無情」「あゝ松の廊下」「一本刀土俵入り」「おまんた囃子」など多数。

▼受章 紫綬褒章(86年)、勲四等旭日小綬章(94年)。音楽賞は多数。

▼永眠 01年4月14日、前立腺がんで死去。辞世の句は「逝く空に 桜の花が あれば佳し」。

<記念DVD発売 来年には公演も>

生誕100年記念の「決定版 三波春夫映像集」(税込み2万2000円)が発売された。DVD4枚組で、NHK紅白歌合戦の出演映像や、記念リサイタルの模様など実に99映像が収録されている。

三波さんの歌を歌い継ぐ3人組の東京力車は、「世界の国からこんにちは」をモチーフにした新曲「握手をしよう~世界の国からこんにちは~」を発表した。メンバーの田井裕一(29)は「2年後の万博で歌いたい」と話している。

生誕100年記念公演が来年2月26、27日に大阪・新歌舞伎座、3月8日に新潟県民会館、同13日に東京・NHKホールで行われる。出演は五木ひろし、市川由紀乃、三山ひろし、辰巳ゆうと、東京力車。

◆笹森文彦(ささもり・ふみひこ)札幌市生まれ。83年入社。主に文化社会部で音楽担当。三波さんの「元禄名槍譜 俵星玄蕃」が大好きだ。「雪をけたててサク、サク、サク…」「先生!」「おうっ そば屋か~」のセリフは何度聴いても胸熱くなる。ナマで聴けなかったのが残念だ。