作家・曽野綾子さん老衰で死去、93歳 「誰のために愛するか」ベストセラー

曽野綾子さん(2000年撮影)

強いメッセージを言葉に乗せた作家、曽野綾子(その・あやこ、本名三浦知壽子=みうら・ちずこ)さんが2月28日、老衰のため都内の病院で死亡した。93歳だった。「叶(かな)わなくても希望を追うのが人間の美学」「待ち方のうまい人が幸福になれる」など90歳を越えてもひたむきに前を見据えた作風が人気だった。

曽野さんは、1931年(昭6)に東京府南葛飾郡本田町(現・葛飾区立石)で生まれ、3歳で大森区田園調布に移る。幼稚園から大学まで聖心女子学院に通学。敗戦前後の10カ月ほど石川県に疎開し、金沢第二高等女学校(現・石川県立金沢桜丘高等学校)に転校した。

同人誌「ラマンチャ」に載った「裾野」で51年5月、文壇デビュー。53年、22歳で作家三浦朱門さんと結婚。55年、「遠来の客たち」が芥川賞候補となる。70年に発表した「誰のために愛するか」は単行本と文庫で400万部のベストセラーとなった。

夫の三浦さんとは、文壇を代表する「おしどり夫婦」として知られた。三浦さんは生前、曽野さんについて「彼女はとにかく努力家で勉強家。例えば土木関係の作品を書くということになると、ちょっと調べてくると言って徹底的にやる。ダムなどの基礎工事から完成するまで長期間、現場にいる」と作家としてとことん取材する姿勢を語る一方で「家庭では、別に普通の人ですよ。家事もひと通りのことは習っている。家事、家庭生活を無視するなんて雰囲気は全然ないですよ」と話していた。

カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。作家活動以外では、95年から05年まで日本財団会長職を務め、09年10月から13年6月まで日本郵政社外取締役だった。13年1月から同年11月まで教育再生実行会議委員を務めた。

また00年、元ペルー大統領のアルベルト・フジモリ氏が日本に長期滞在した折、自宅に私人として受け入れていた。

◆曽野綾子(その・あやこ)本名三浦知壽子。1931年(昭6)9月17日、東京都生まれ。幼少時からカトリック教育を受け、17歳で洗礼を受ける。聖心女子大英文科卒業。大学時代の53年、同人仲間の三浦朱門氏と結婚。「無名碑」「一条の光」などを発表。その後の作品は「神の汚れた手」「時の止まった赤ん坊」「『いい人』と止めると楽になる」「老いの才覚」「人間にとって成熟とは何か」など。