<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>
20日の参議院選で、久しぶりに“政治記者”をやってみた。長い間、芸能記者をやってきて放送担当として「当確」だったり、「テレ観」という選挙特番を見ながら原稿を書くことが多かった。
政治記者はアントニオ猪木さんが参議院に初当選した1989年(平元)の参院選、社民党の前身の日本社会党が136議席と53議席も増やした90年の衆院選以来となった。
好調が伝えられた国民民主党と存亡の危機の社民党、どちらかを選ぶように言われて、迷わず社民党を選んだ。人として誇れるものなどない自分だが、唯一誇れるのが「妻子を裏切ったことがない」ことだけ。不倫問題を起こした国民民主党の玉木雄一郎代表は、ちょっとノーサンキュー。芸能記者としてお世話になったラサール石井氏(69)が立候補した社民党の開票センターに向かった。
社民党は1議席当選できるかどうか、2%以上の得票をして政党要件を確保できるかがテーマ。最後の最後までもつれることが予想されたが、記者としてはこれは“おいしい”。
社民党の開票センターは、個人の議員の事務所じゃないかと思うほど狭かった。時代はテレビよりも、ネットの時代。NHKの選挙サイトを見ながら、票の出方を見守った。
日刊スポーツ映画大賞審査員、日刊スポーツアドグランプリ審査員でお世話になった福島瑞穂党首(69)が、推移を見守りながら会見をするが、勝負どころは最後の最後。1971年(昭46)の参院選で、最後の当選者となった落語家の立川談志師匠が「真打ちはトリに登場する」と言い放ったネタを用意してラサール候補の登場を待った。
だが、票は動かない。開票センターは予算の都合なのか、午前4時までしか借りていないという。当落が出なくてもラサール候補には会見してほしいと思っていたのだが、なんと仕切り直して午前11時に会見するという。
午前4時になって、まさに開票センターの撤収が始まろうとする時、NHKがラサール候補の「当確」を報じた。まさかの会見が午前4時過ぎに始まった。会見が終わったのが午前4時半。タクシーで自宅に帰り着いたのが午前5時。予定原稿に会見の内容を加えた差し替え原稿を出し終わったのが午前6時だった。
午前11時の会見に間に合うには午前9時に起きなくてはならない。睡眠時間は3時間だ。とは言っても、原稿を出し終わってすぐに眠れるわけがない。2時間ほどグダグダして、1時間ほど眠ったふりをして午前9時起床。
午前10時に自宅を出ると、もうすでに気温は30度オーバーの酷暑。「心臓まひを起こすまい」「頭の痛みは」などと、体調を見極めながら、社民党本部へ向かった。
勝てばそれでいいが、負けても芸能人ラサール石井の取材は続く。両てんびんで構えていたが、出馬を決意した時点でラサール候補は、20年以上も出演を続けてきた舞台「熱海五郎一座」を、今後は出ないと決めていた。
SNSで政権批判を繰り返しながらも、テレビ、CMはともかく、舞台の仕事はなくならなかったラサール候補。インタビューしても、その過激な主張に、どのような原稿にしたらいいか迷うことも過去にはあった。参議院議員としての抱負を聞きながらも、芸能記者としては「来年の『熱海五郎一座』でラサール石井の穴を埋めるのは誰だろう」と考えていた。
ラサール石井と言えば、渡辺正行、小宮孝泰とのコント赤信号。所属事務所だった石井光三事務所の石井光三社長には大変お世話になった。石井社長は10年前に83歳で亡くなったが、ことあるごとに「そろそろ会社を辞めて、ワシのところに来んか」と誘ってくれた。いつも「芸人ですね」「いやいや、マネジャーや」とやりとりが続いた。石井社長は芸能マネジャーという仕事を愛し、誇りを持っていた。何はともあれ、冗談交じりとはいえ、ことあるごとに誘っていただけたのは、寄る辺ない記者生活の中で大きな支えになった。
当確が出た明け方の会見で、ラサール候補に石井社長のことを聞いてみた。「立候補は社長だったら『ええがな』と言ってくれた可能性があると思う。当選したから『やり、やり、頑張り~』って言ってくれると思う」とかえってきた。
残り少ない記者生活で、いままでお世話になった方々には何らかの形で恩返しができたらと思っている。でも、お世話になったフジテレビの偉い人たちがゴッソリといなくなってしまった。
ラサール候補の取材は、開票の時に行っただけだが、少しは石井社長に恩返しできたかなという気もする。そんな35年ぶりの“政治記者”だった。【小谷野俊哉】