パラリンピックの競泳女子で通算15個もの金メダルを獲得したレジェンド成田真由美(なりた・まゆみ)さんが5日、亡くなった。55歳だった。
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早すぎる訃報にショックを受けました。心から、ご冥福をお祈りします。
成田さんに1度だけ、インタビューをさせていただいたことがある。訃報をテレビで見た時、そのインタビューで、質問をした私に対して、成田さんが投げかけた一言が、よみがえった。「では『健常者への理解』はすでに深まっているのでしょうか」。成田さんが望んだ社会のヒントが込められた問いだ。
取材させていただいたのは2016年8月。同年7月26日に発生した相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が刺殺され、27人が負傷した事件をめぐり、事件の5日後に現場で献花されていた成田さんに、後日、お時間を頂いた。
当時、取り調べが進んでいた元施設職員植松聖死刑囚は「障害者なんていなくなればいい」などの供述を繰り返していた。ニュースでは「障害者への理解」といった言葉が論じられていた。成田さんはどう考えているのだろうと思い、質問した。成田さんは、私を正面から見据え、「では『健常者への理解』は、すでに深まっているのでしょうか」と、問われた。
突然の問いに、私は固まってしまった。「健常者への理解」。健常者から「障害者への理解」という言葉は、耳慣れた言葉だった。では、今、成田さんが自分に問いかけた「健常者への理解」って、誰の、誰に、対する理解だろう…。
ようやく頭がついてきた。「理解の醸成」「理解の推進」…。よく目にする表現だが、健常者に向けられることは、ほとんどない。その言葉が、自分に向けられて初めて気づく。そもそも、相手のことを、わざわざ理解という行動に取りかからなければならない対象と設定していないか。そんなに構える時点で、すでに相手との間に、仕切り線を引いていないか。
成田さんは私に、「まだ『障害者への理解』という言葉の話からしないといけないのだなと思いました」といい、丁寧に、思いを語ってくれた。「『理解』といった大げさなものではないのではないでしょうか。ただ、目の前にいる人を、認めるとか理解するとかではなく、自然に、空気のように、そこにいる、そこにあるということが、別になんでもないことのようになればいい。私はそう思っています」。 【清水優】