野田聖子元総務相「悪口言われた人って一生忘れない」公明党の自民党との連立離脱にため息連発

自民党の野田聖子元総務相(2023年撮影)

自民党の野田聖子元総務相が14日までにX(旧ツイッター)と音声プラットフォーム「Voicy」を更新。公明党の斉藤鉄夫代表が、高市早苗新総裁の自民党との自公連立からの離脱を表明したことについて言及した。

野田氏は音声で「想定していなかった」としつつ「人って相手とのコミュニケーション。人間ってやっぱり悪口を言われると、言った方は忘れちゃう。言われた人ってのは一生忘れない。そういうのもあったのかなって思います」と語った。

高市氏や麻生太郎副総裁らの新執行部は、高市氏に近い人物や麻生氏に近い人物で固められ、公明党と強いパイプのある人物が含まれていない。自公連立の解消をめぐっては、公明党側が4日に自民党側に求めていた<1>「政治とカネ」の問題<2>靖国神社参拝と歴史認識<3>過度な外国人の排斥といの懸念事項をめぐる対話もないまま、離脱という結論に至った経緯がある。

野田氏はVoicyで「ついに公明党が、自公政権離脱ということになりました」と切り出し「あー、なんか、うーん。正直、今、どう表現していいかよく分からないです。あの、どうなっちゃうんでしょうね。あー」と、ため息が多く混じるトークを展開。「私もこういう風になるとは想定してなかったんだけど。やっぱりね。人って相手とのコミュニケーションじゃないですか。で、今回の自民党のトップみたいな人たちは常にまあその自公でやってきても、アンチの発言が多かったんで、人間ってやっぱり悪口を言われると、言った方は忘れちゃう。言われた人ってのは一生忘れない。そういうのもあったのかなって思います」と語った。

高市新総裁の誕生に際し「キングメーカー」としての力を発揮し、人事にも濃厚な影響が色濃く見える麻生氏は23年9月、22年末の安保関連3文書の閣議決定をめぐり、公明党について「一番動かなかったがんだった」と発言していた。

野田氏は自身の政治活動を振り返り「岐阜から、日本からとりわけ苦しんでいる人たちのリクエストに応えてきたし、自民党は結構福祉は弱いところもあったので、もちろん女性政策も。そこはもうずいぶん、自公連立で、公明党の方に支えてもらって、いい法律ができたなあと。例えば医療的ケア児支援法、発達障害者支援法。これもやっぱりずっと一緒にやってきているものなので。社会の中で困っている人に対して政党の色分けっていうのはあり得ないんで、引き続き全ての政党と必要な制度を作ったり法律を変えたりすることで、まあ、これまでどおりの、私自身は活動に精進していく覚悟です」と語った。

野田氏は1993年の総選挙で、自民党としては13年ぶりの女性議員として初当選。98年の小渕内閣で当時戦後最年少の37歳で郵政相に就任。「郵政選挙」こと2005年総選挙では、郵政民営化の“造反組”として無所属出馬し、「刺客」の自民党公認候補佐藤ゆかり氏を退けて当選。その後、離党するが、06年に復党。12年には総務会長、17年には総務相(安倍政権)、18年には女性初の衆院予算委員長と要職を歴任してきた。地方創生、少子化対策、男女共同参画、女性活躍担当相などの分野でもキャリアを重ねてきた。

有力な「女性初の総理候補」とされてきた1人で、総裁選では、15年には安倍晋三元首相が無投票で再選された総裁選に「義を見てせざるは勇なきなり」として出馬に意欲を見せたが、推薦人が20人に満たず。18年にも総裁選出馬を表明も推薦人20人が集まらず断念。21年に総裁選初出馬した。24年総裁選は断念し、小泉進次郎氏を支援。今回は見送り、小泉氏を支援した。

野田氏は「うーん。いろいろ思うところはありますけど」としつつも「今日は取り急ぎ、そういうことになったということと、まあ私自身はどうであれ、いままでやってきた仕事をいままで以上にちゃんと成果を出していく。っていうこと、しか伝えられません。まあ、みなさんからもいろいろアドバイスを頂けたら嬉しいなと思います」と締めくくった。