社会党トップとして、だれも想像しなかった自民党と組む自社さ連立政権で、第81代内閣総理大臣を務めた村山富市(むらやま・とみいち)さんが17日、大分市内の病院で死去した。101歳。
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村山さんは、戦後70年の2015年の末、日刊スポーツと「ニコニコ生放送」の共同企画「レジェンドの伝言」で、インタビューに応じてくださった。当時は、第2次安倍政権で安保関連法が成立し、日本の安全保障環境が大きな転換点を迎えていた時期。この年には、安倍晋三首相の「70年談話」も出された。戦後70年にこれからの日本を考える上で、日本の戦争責任を明確にしておわびを盛り込んだ「村山談話」を出した村山さんにも話を聴こうと、政治ジャーナリストの角谷浩一氏、ドワンゴのスタッフ2人と計4人で、指定された大分市のホテルに向かった。
当日の大分市内は、雨だった。足元が悪く申し訳ないな…と思いながら、客室で準備をしていると、村山さんはおひとりで突然、現れた。首相経験者でもあり、ある程度の警備を想像していたが、拍子抜けしたほど。いすに座った村山さんに、インタビューについて説明していた間はかなり言葉少なで、少し不安に感じたことを覚えている。
胸元に配信用のマイクを付けていただき、用意ができたところで、角谷さんが、今の安倍内閣をどう見ているかと最初の質問を投げかけた瞬間、村山さんは明らかに表情が変わった。トレードマークの長いまゆ毛の下の目の眼光も、いきなり鋭くなった。それまでぼそぼそとした聞こえなかった言葉もクリアになった。
安保関連法成立までの審議を「あれほど国民の関心が高かったのに、安倍総理自ら、国民にまだ知られていないと言いながら強行採決した。国会の動向や国民の意向を無視するようなやり方は、納得いかない」と、腹の底から絞り出すような声で語り、安倍氏への歯がゆさを口にしていた。
今の永田町は、公明党の連立政権離脱を受け、自民党が日本維新の会に連携を打診するなど混迷のさなかにある。社会党トップだった村山さんも、政治信条が異なり、本来は組むことはない自民党と手を結ぶ「ウルトラC」で、自社さ政権の首相に就任。自民党の政権復帰の「立役者」となったが、それだけに批判も多かった。
当時は今と同様、日本政治は混迷の時期で、それがなければ自社が組んでの村山首相誕生はなかっただろう。村山さん自身、「私が総理になるのは論外。断り続けた」と明かしつつ、「過渡的に、あんな政権が生まれるのはあり得ること。ちょうど戦後50年の節目に重なり、歴史的な1つの役割があったんじゃないかと」とも話していた。
「これまで争った政党が話し合っていっしょになり、政治の『軌道』を変えていく。今までの政治の『行き過ぎ』と『是正』が絡み合えばいいと思った」。首相就任は偶然ではなく、「必然」だったとの思いも口にしていた。
インタビュー時間は予定の1時間を超えた。最後はさすがに村山さんもお疲れの表情だったが、「平和憲法は日本の宝 世界の宝 断じて守り抜く」と色紙にしたためてくださった。
インタビューを終えると来た時と同じく、ひとりでホテルの部屋を出て行かれた。窓からは、帰路に就く村山さんの後ろ姿が見えた。1時間以上、熱量を込めて話をしたとは思えないほど、スタスタと軽やかな早い足取りだった。
翌2016年は参院選が予定されており、「政治を変えるには選挙しかない。最後のご奉公です。全国を応援で回りたい」と、意欲を示していた。自身の経験や信念、若い世代へのアドバイスを伝えようとする姿からは、言葉以外の説得力ある「圧」を感じたことも、覚えている。「レジェンドの伝言」というタイトルを、体現するような方だった。【中山知子】