石破茂前首相(68)が6日放送の文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」(月~金曜午前11時半)に生出演。戦後80年で「談話」を発表せず「所感」とした経緯をあらためて説明した。
石破氏は番組中盤にゲストで登場。MC大竹まことから「ようこそいらっしゃいました」と歓迎されると、「5年ぶりだそうで」と自ら紹介し、大竹に「5年間、いろいろありましたね」と振られると「そうっすね~、人生いろいろです」とおだやかに応じた。
その後、「80年所感」を出した経緯を説明。石破氏は「『談話』という形を取ると、閣議決定をしなくてはいけないのね。その前に与党の了解を得ないと閣議に上がらないのね。『談話を出すこと自体ダメです』という方もいっぱいいた。『安倍談話で終わっているんだ』と。『それ以上のこと何があるんだ』と」と、当時の党内情勢を明かした。
MCの大竹まことが「私たちは聞きたかった」と振ると、石破氏は「自分の言いたいことってのは、与党の了解とか閣議決定をへると、たぶん、ずいぶんと削られるんだろう、と思った」と説明。50年の村山富市首相、60年の小泉純一郎首相、70年の安倍晋三首相の各談話について触れながら「(田中)角栄先生が生きているときによくおっしゃっていたのは『あの戦争に行ったやつがこの国の中心にいる間は大丈夫だ、いなくなった時が怖いんだ』っておっしゃってたけど、(戦後)90年になると、絶滅とは言わないけど、ずいぶんといなくなっちゃうんだろうな、と。そうすると、これが最後かもしれないという思いがあって、形式にはとらわれないで、言いたいことがあった」と、所感の形で発表した理由を語った。
さらに石破氏は「安倍談話ってよくできていたんだけど、よく読むとね、『日本の政治システムは、戦争になることを止めることができなかった』という、そういう一文があるんですよ。じゃあ、なぜできなかったの?ということを、それなりに検証したかった」と指摘。ジャーナリスト青木修からは「石破さんが、ほぼ自らお書きになったということで良いですか?」と聞かれると、石破氏は「もちろん、官邸のスタッフ、そういう人たちが、こういう構成はどうでしょうか、というのは官僚たちが原型は作ってくれる。それは広島のスピーチも、長崎のスピーチもそう。それは彼らが私の立場にたって一生懸命考えてくれた。それをね、80年所感はね、小さなのも含めれば50回は直したかな。いい加減なことは書けないので、すべて原典にあたる」と自身の制作過程を振り返った。