「震災の記憶を風化させないため」“被災地の英雄”小型船「ひまわり」の思い継ぐ

現在の「ひまわり」

2011年(平23)3月11日に東日本大震災が発生してから11日で15年。震災直後、孤立した宮城県気仙沼市の離島・大島で唯一の島民の足として奮闘したのが小型船「ひまわり」だった。菅原進船長を中心に震災遺構として残す活動を続けてきたが、昨年7月に菅原さんが82歳で死去。今後、残された人たちでどう活動を続けていくのか。「ひまわり」の今後はどうなるのか。現地を歩いた。

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菅原さんは「震災の記憶を風化させないためにも『ひまわり』の保存は絶対に必要。未来を担う子どもたちに津波の怖さを伝え続けないといけない」が口癖だった。「臨時船『ひまわり』を保存する会」は17年12月に設立。20年8月、大島にある菅原さんの自宅敷地に船を移設した。だが現在、展示はされているが屋根や壁はない。風雨にさらされ続けて客室は何度か雨漏りをしている。

菅原さんの三女で「保存する会」役員の美希恵さん(49)は「雨漏りは父が直してきましたが床や壁などには腐っている部分もある。船体のボディーは強化プラスチック製で頑丈だけどペンキが劣化してはがれているところもある」と保存状態などを説明する。

「保存する会」では将来を見据え、個人で管理するには限界があると判断。気仙沼市への寄贈を前提に、市所有地への移設や管理移行などを希望している。というのは18年3月、市に支援を求める要望書を提出した際、保存場所として「島内にある市有地の無償貸与を検討する」と応じていたからだ。市側に「市有地の無償提供」の意思確認などをあらためてすると「今後、市として『保存会』の方とお話をする機会を設ける予定であり、その際にお考えを改めて伺う。その上で協力可能な点・協力が難しい点について慎重に判断する」との返事だった。

美希恵さんは「今後のことを考えると『ひまわり』は多くの人の目につきやすいところにあった方が良い。子どもたちに震災について教える教育的価値も高まるし観光にも生かせる」と話す。

多くの船が津波で全滅状態だった中、「ひまわり」だけが沖に向かい、15メートルもの波を乗り越えて無事だった。震災から約8カ月、無償で島民や荷物を運び続けたことを英BBCや米CNNなどの海外メディアが“被災地の英雄”として報道。国内でも体験談が小6の道徳副読本として採用されてきた。

菅原さんは多くの人に自身の経験を語り、毎年3月11日には僧侶に教えてもらったお経を海に向かって唱えていた。今年、その姿はない。だが思いを継ぐ人たちはいる。【松本久】

◆大島 東北最大の有人島。海岸線は美しい景観が多数見られ、鳴き砂海岸として知られる十八鳴浜(くぐなりはま)は国の天然記念物。21年放送のNHK朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」の舞台地になった。面積8・5平方キロメートル。

◆「臨時船『ひまわり』を保存する会」 17年12月に発足。会長は医師で作家の鎌田實さん、名誉顧問は歌手さだまさし。公式サイトはhttp://himawarigo.com/hozon/