第91代内閣総理大臣を務め、森政権、小泉政権の官房長官としても存在感をみせた福田康夫(ふくだ・やすお)元首相が22日、亡くなった。90歳。26日、自民党が発表した。
福田さんは2007年参院選で自民党が敗れ、国会の衆参勢力がねじれ状態となった中、安倍晋三氏の後を継いで07年9月、首相に就任。就任からほどなくして、政権運営や法案審議の安定化に向けて、自民党と当時の野党第1党だった民主党との連立政権樹立を模索したことがある。
民主党の小沢一郎代表(当時)と水面下で連絡を取り、同年11月2日の党首会談で、「今の国会の状況を打開するため、新体制をつくることもいいのではないか」と、「大連立」に向けた政策協議を持ちかけた。小沢氏は「党内で協議する」として党に持ち帰ったが、当時の民主党執行部はこの打診を拒否。小沢氏は福田氏に電話をかけ「反対が多数なので、のめません」と伝えた。当時の民主党の鳩山由紀夫幹事長は、「大連立は大政翼賛会的で(国民の)批判を受ける」などと説明。自・民トップ同士による協議が表面化して数時間で、「大連立」構想は幻に終わった。
福田さんは当時、「今の国会、政治状況を打開するため、新体制をつくることもいいのではないかと(小沢氏に)話した。連立というか、政策実現のための新体制だ」と、報道陣に真意を説明。福田政権にとっては、「ねじれ国会」打開に向けたいちかばちかの「奇襲」作戦だったが、与野党第1党同士による政界再編含みの動きとも受け取られ、当時の政界に大きな波紋を広げた。
「大連立」に向けて「仲介役」を務めたのは、当時読売新聞グループ本社会長だった渡辺恒雄さんだった。小沢氏はその後、「大連立」構想を振り返り、「(民主党政権ができる前に)連立した方が民主党の政治家にとっていい勉強になるし、政権を担うにも早道だと判断し、(大連立構想に)乗ろうとした」などと述べ、実現しなかったことへの無念の思いを口にしている。福田内閣はその後も厳しい国会運営を余儀なくされ、福田さんは就任から1年後の08年9月に退陣した。
福田さんの葬儀は近親者のみで行われ、後日、本葬が開かれる。喪主は、自民党衆院議員の長男、達夫(たつお)さん。