【G1復刻】テイエムオペラオー史上初の天皇賞3連勝!恵みの雨も味方に完全復活/天皇賞・春

天皇賞・春を制したテイエムオペラオーと和田竜二騎手

<天皇賞・春>◇2001年4月29日=京都◇G1◇芝3200メートル◇4歳上◇出走12頭

好メンバーがそろった最強古馬決定戦は、昨年の年度代表馬テイエムオペラオー(牡5、栗東・岩元)が直線で力強く抜け出して完勝した。大阪杯(4着)の敗戦から見事に復活。和田竜二騎手(23)の好騎乗に導かれて史上初の天皇賞3連勝、シンボリルドルフに並ぶG1・7勝の大記録を達成した。レース後、竹園正継オーナー(55)は、10月の仏凱旋門賞挑戦プランがあることを初めて明かした。逆転を狙ったメイショウドトウ(牡5、栗東・安田伊)は、G1・5戦連続でオペラオーの2着に終わった。ナリタトップロード(牡5、栗東・沖)は3着に敗れ、対オペラオー8連敗となった。

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3コーナーで早くも和田の手が動いた。どうしたオペラオー。10万大観衆がドッとざわめいた。坂の下りで1発、2発、3発とステッキが飛ぶ。「ちょっと無理かなと思った」。岩元市三師(53)の頭にも不安の影がよぎる。このまま、大阪杯(4着)の悪夢の再現となってしまうのか。

が、王者は力強くよみがえった。一気に加速をつけて直線を向くと、外からナリタトップロードに襲いかかった。「ズブい馬でエンジン全開になるのに時間がかかる」。苦笑いを浮かべる和田をよそに、ライバルたちを並ぶ間もなくかわし去った。盾3連勝、G1・7勝、数々の大記録とともに、栄光のゴールを駆け抜けた。

ピークは過ぎた。もう終わった。たった1度の敗戦で、オペラオーの絶対性に揺らぎが生じた。

ファンばかりではない。陣営にとっても同じ。「(大阪杯で)負けてホッとするかなと思ったけど、この中間は不安ばかり先走った」。今度は負けられない。和田の肩にも重いプレッシャーがのしかかった。

「あまり食べ物もノドを通っていなかったし、食べても太れなかった」。和田夫人の智子さん(22)は、大阪杯からの数週間を振り返る。言われてみればほおもこけたように映る。「ダイエットをしました」。表彰台では笑ってみせた和田だが、実際には押し寄せる重圧と戦っていた。

若いあん上の不安を振り払ったのは、愛馬の背中だった。「パドックでまたがって、前走とは全然違うと思った」。今までにない不安に襲われた大阪杯とは違った、慣れ親しんだ感触だった。

さっぱり食べなかったカイバも、今回はきっちり食べた。追い切り後に1本しか上がれなかった坂路も、今回は金、土曜と2本ずつ上がれた。最悪だった大阪杯とは雲泥の差。「あの馬のいい状態に持ってこれた。あれ以上はどうか」。岩元師も納得の仕上げでレースに臨んだ。「馬が良ければ結果はついてくる」。本馬場に現れた和田の表情も晴れやかだった。

重圧をはねのけた騎手、愛馬の管理に全力を尽くした調教師。人事を尽くした陣営に、天も味方した。「最後の頼みは雨ですね」。枠順決定後に和田がもらした希望は、まさに現実のものとなった。

当初は夕方から降るはずだった雨が午前中から降り始めた。ナリタトップロード、エアシャカール……ライバルたちが馬場に苦しむ中、オペラオーには絶好の舞台。「これが勝負事。天のたすけがあったな」。岩元師は笑う。オペラオーにはツキもあった。

世紀は変わったが、最強馬の強さだけは変わらなかった。次の宝塚記念(G1、芝2200メートル、6月24日=阪神)ではG1最多勝記録の更新がかかる。「今世紀も連勝をしていけたらいい。負けない競馬をしていきたい。シャーァッ」。分厚い雨雲を突き破る和田の力強い雄たけびが、最強馬の完全復活を高らかに宣言した。【鈴木良一】

◆テイエムオペラオー ▽父 オペラハウス▽母 ワンスウエド(ブラッシンググルーム)▽牡5▽馬主 竹園正継氏▽調教師 岩元市三(栗東)▽生産者 杵臼牧場(北海道・浦河町)▽戦績 21戦13勝▽総収得賞金 15億4425万1000円▽主な勝ちクラ 99年皐月賞、00年天皇賞・春・秋、宝塚記念、ジャパンC、有馬記念、01年天皇賞・春(G1)00年京都記念、阪神大賞典、京都大賞典(G2)99年毎日杯(G3)

■メイショウドトウ5戦連続G1・2着、宿敵オペラオーの厚い壁を破れず

オペラオーの厚い壁を破ることはできなかった。オペラオーがトップロードを直線半ばでかわす。メイショウドトウはオペラオーの後ろから外に持ち出し、猛烈に追い込む。安田康彦騎手(28)の右ムチに反応して、1完歩ずつ差を縮めるが、オペラオーの脚色は衰えない。半馬身差でゴール。またしても2着だった。

安田康は「やっぱ(オペラオーは)強いね。もう少し前で走らせたかったが、スタートが悪くて駄目だった。でも、今日の結果には満足している」とサバサバしてライバルを持ち上げた。「距離がもつかと半信半疑だったけど、折り合いもついていた。距離が短くなる宝塚記念で巻き返したい」と逆転に望みを託していた。

昨年から外国産馬に天皇賞が開放され、外国産馬として史上初の天皇賞(春)制覇を狙っていた。先月の日経賞優勝というハードルを超えての出走だったが、安田伊佐夫師(56)の打倒オペラオーの執念は再び実現できなかった。「折り合いもぴったりついていた。距離がもつのは最初から分かっていたんだ。スタートで出負けしたのが敗因やろうな。後手を踏んでしまった。3、4着を覚悟していたが、最後はよく伸びていた。それだけにオペラオーより前でやらせたかった」とさすがに無念さを隠せなかった。

昨年の宝塚記念での初対決から天皇賞(秋)、ジャパンC、有馬記念と連続2着に終わった。着差は首、2馬身半、首、鼻と徐々に詰めたが、その差は半馬身に広がった。安田伊師は「(パンパンの)良馬場でやりたかった。宝塚記念で何とかしたい」と雪辱を誓っていた。敗れたとはいえ、総収得賞金は7億137万円となり、ヒシアマゾンの6億9894万円を抜いて外国産馬の賞金王になった。この無念さを2カ月後の宝塚記念(G1、芝2200メートル、6月24日=阪神)で晴らす。【田中聖二】

 

■ナリタトップロードは恨みの雨、渡辺騎手「状態が良かっただけに悔しい」

3着のナリタトップロードにとっては恨みの雨となった。「一番悔しいのは、パンパンの良馬場でできなかったこと。道中ずっとノメっていた」。渡辺薫彦騎手(26)は、ぐっと唇をかみしめた。スピード勝負に勝機を見いだしたい同馬には、午後から降り始めた雨が勝敗を決した形だ。

3コーナー付近で後退する先行馬を巧みにかわし、外めに持ち出した。直線早めに抜け出したのは作戦通り。「初めから2着狙いなら十分に2着はあった。でも、いまさら2着は必要ないので勝ちに徹した。テイエムオペラオーより『ひと足先に』を意識し、多少早いかなと思ったがスパートした」(渡辺騎手)。作戦が功を奏した、と思われたのは一瞬だった。すぐに、テイエムオペラオーに馬体を併せられてしまう。渋った馬場を得意とするライバルの前に、なすすべはなかった。渡辺も「最後の100メートルでは脚があがってしまった」と、結果に納得せざるを得なかった。

ステップレースの阪神大賞典をレコード圧勝。上昇機運に乗って臨んだ天皇賞だったが、ライバルの壁は厚かった。「状態が良かっただけに悔しい。昨年も言いましたけれど秋にかけたい」。渡辺は悔しいを連発していた。【海老原実】

(2001年4月30日付 日刊スポーツ紙面から)※表記は当時