【G1復刻】オルフェーヴル、世界一まであと5メートル…直線先頭も首差かわされ2着/凱旋門賞

12年10月、ゴール前でペリエ騎乗のソレミア(左)に差され、2着に敗れるオルフェーヴルとスミヨン騎手

<凱旋門賞>◇2012年10月7日=ロンシャン(フランス)◇G1◇芝2400メートル◇3歳上◇出走18頭

【パリ(フランス)=太田尚樹】日本の悲願を背負った3冠馬オルフェーヴル(牡4、池江)は惜しくも首差2着に敗れた。クリストフ・スミヨン騎手(31)に導かれ、直線半ばで堂々先頭に立ったが、ゴール直前でフランスのソレミア(牝4)に差し返された。父泰郎元調教師(71)の手がけたディープインパクト(06年3位入線失格)の雪辱を狙った池江泰寿調教師(43)も無念の結果に終わった。

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枯れ葉舞うブローニュの森。前夜の雨を含んだ重いロンシャンの芝をものともせず、オルフェーヴルは直線半ばで堂々と先頭に立った。スミヨンの右ムチに応え、後続をグイグイ突き放す。しかし、ゴール直前、再び盛り返してきたのがペリエ騎手騎乗のソレミアだった。あと5メートル…。快挙が目の前に迫った時、地元フランスの4歳牝馬がオルフェーヴルの左から抜き去っていった。

歓喜を迎えるはずだったフィニッシュは、日本馬3度目となる2着。1920年の第1回から欧州馬以外の優勝を許していない世界最高峰レースは、またも壁として立ちはだかった。

「先頭に立った時には勝ったと思ったが…。直線を向いてから反応はよかったが、内にもたれた。内に入りたくなかったけど、右ムチを使っても右に寄っていった。ソラを使うところもあったかもしれない。ゴール直前でもう1度大きくよれた。でも、凱旋門賞でこれだけ走る馬はいない。よくやったと思う」。

わずかに首差…。ゴール後、天を仰いだスミヨンは声を絞り出した。大外枠から道中は後方2番手でオルフェをなだめ、最後の直線で満を持して外からスパートしたが、あと1歩が及ばなかった。

万全の準備で臨んだはずだった。鞍上にスミヨンを配し、なりふり構わず勝ちに来た。父ステイゴールド、母父メジロマックイーンの池江家ゆかりの血統で、父の手がけたディープインパクトのリベンジを狙った池江師も「今年一番の状態」と胸を張って送り出した。大外枠は最近50年間で勝ったのが86年ダンシングブレーヴと03年ダラカニの2頭だけという最悪の枠順。馬場も10段階中8番目の不良馬場に近い重馬場。そんな過酷な条件もクリア寸前だったが…。

スミヨンの思いも届かなかった。「日本のみなさんと夢を分かち合いたい」。凱旋門賞2勝を誇る名手も、日本馬に乗って挑む意義を強く感じていた。東日本大震災の起きた昨年、1頭の馬の名付け親になった。ジョワドヴィーヴル。フランス語で「生きる喜び」を意味する。生きてさえいれば、すばらしい瞬間に立ち会える。沈む日本へのメッセージでもあった。日本からの声援も感じながら、必死に日本最強馬に活を入れた。それでも届かなかった。

「チーム・オルフェ」は、前だけを向いて挑戦してきた。今年初戦の阪神大賞典では前代未聞の逸走で単勝1・1倍の断然人気を裏切った。怒声、非難、嘲笑…。一気に自信が崩れ去った。直後の3月下旬、トレーナーは厩舎や牧場のスタッフ、そして池添騎手を居酒屋へと集めた。原因や対策などの話題はあえて口にしない。グラスを片手に1人1人の目をのぞき込み、1つの言葉を繰り返した。「気持ちをポジティブにしていこう」。1度きりの“再決起集会”。それで十分だった。続く天皇賞・春の惨敗にも、下を向く者は誰もいなかった。あきらめない。強い気持ちで進んできた。

だからこそ、これで終わりじゃない。震災の年の3冠馬は、幾多の試練を乗り越えてきた。池江師も「挫折があっても3冠馬になれることを証明した馬」と評する。今回の敗戦を糧に、きっとまた、圧倒的な強さを見せる日が来るはず。あきらめなければ、夢はかなう。それを教えるために。

(2012年10月8日付 日刊スポーツ紙面から)※表記は当時