プロ野球南海のリードオフマンで歴代2位の596盗塁を記録し、南海監督を務めた広瀬叔功(ひろせ・よしのり)さんが心不全のため2日に亡くなられました。89歳でした。
「どうや、競馬は当たっとるんか?」
広瀬さんはいつも僕のつたない予想、馬券を気にかけてくださいました。
僕が広島カープ担当だった03~05年の3年間、広島市民球場での試合は必ず、2人で並んで記者席で見ていました。日刊スポーツで評論家を務めてくださっていましたが、当時のカープの評論は毎試合、あるわけではありません。それでもホームゲームは全試合、球場に来られていました。
僕が競馬担当から、阪神担当をへて広島に赴任してきたことももちろんご存じで、日曜のナイターの時などは「今日の競馬はどうやった?」と、いつも聞いてくださいました。
時には、広瀬さんの地元・廿日市市、宮内串戸の居酒屋にも連れて行ってもらいました。広瀬さんの特注ジョッキは二重構造になっていて、内側に最初から水が入っています。凍らせると文字通り、氷のジョッキになります。「ビールはキンキンの方がうまいからのう」と話す笑顔が忘れられません。常連さんたちは皆さん、広瀬さん、広瀬さんと声をかけておられて、いい魚が釣れたからとクーラーボックスを持ってくる方もおられました。皆さんに愛される方でした。
実は、一緒に仕事をさせていただくことになってから、しばらく黙っていた事実があります。僕は少年野球をやっていた頃、地元の奈良で名球会の野球教室に参加したことがありました。投手の講師は村山実さん、内野手は藤田平さんと、阪神ファンだった僕が知ってるお2人でした。ですが、僕は外野手。講師は広瀬さんでした。広瀬って誰やろ? 村山さんか藤田さんがよかったな…と幼心に思ったのは事実です。
「広瀬さん、実は小学生の頃、野球を教えてもらったことがあります」。いつお伝えしたかは忘れましたが、正直に、当時は広瀬さんのことを存じ上げなかったことも伝えました。
「そうやったか! うれしいのう。そうやって野球を教えた子どもと一緒に仕事ができるなんてなあ」
本当にいつも笑顔で、優しい優しい方でした。
僕が競馬担当に戻る時には「伊嶋くん、これからは新聞で予想を見てるからな」と、いつものように温かい言葉をかけてくださいました。
あれから20年、もちろん大阪に戻ってからも何度か広島へ行った際にはお会いしましたが、ここ10年あまりはお目にかかれていませんでした。
相変わらず僕の馬券は当たっていませんが、広瀬さんに教えていただいた通り、いつも楽しく競馬をしています。また一緒に飲みたいです。ありがとうございました。【中央競馬デスク伊嶋健一郎@中之島】