今春で引退する調教師の連載「明日への伝言」最終回の第7回は、美浦の小西一男師(70)が50数年にも及ぶ騎手、調教師生活を振り返った。
中山競馬場で生まれ育ち、物心ついた時にはジョッキーを目指した。調教師となり、米国のセリで縁があったスーパーナカヤマ、芦毛の怪物スピードワールドは思い出の馬たち。1日の中山12Rでラストランを迎え、「最後まで無事に終えられて良かった。まだ実感が湧かないね」とすがすがしい表情を浮かべた。【取材・構成=井上力心】
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中山競馬場で生まれ育ったし、子どもの頃に父(元騎手、調教師の小西登氏)が調教助手をやっていたのもあって競馬に興味を持つのは自然な流れでしたね。よく競馬も見ていたし、物心付いた時にはジョッキーになりたいと思っていた。
馬事公苑に入って最初は減量に苦労したけど、馬に乗るのは楽しかったです。ただ、騎手にはあまり向いてなかったですね。体が適していなかった感じはありました。
僕がジョッキーになってからおやじも調教師になって、長く乗れないなら自分も切り替えてみようかなと考えるようになりました。騎手と並行しながら4回目の受験で合格しました。ちょうど調教師の定年制も始まった頃で早いうちになった方が長くやれると思って。当時としては若い35歳の頃でした。よく勉強しましたね。
重賞を勝たせてもらったスーパーナカヤマ(98年ガーネットS)は馬主さんに米国のトレーニングセールに連れて行ってもらって選んだ馬でした。初めて外国のセリに行って初めて買ってもらって思い出に残っています。あの馬はまだ2歳の2月なのにあれだけの速い調教ができて体力も付いていてびっくりしました。すごく衝撃があったのを覚えています。
スピードワールドも米国産で、勝たせてもらった(97年)京成杯は強かったですね。爪の悪いところもあって、早咲きという形になりましたが、無事なら大きいところも狙えていたかもしれません。
馬が好きで、そして馬主さんをはじめ多くの関係者の皆さんやスタッフのおかげでここまでやってこられました。感謝の気持ちでいっぱいです。目の前のことに向けてずっと走り続けて来て、今思えばあっという間でしたね。
昔はファミリーで競馬なんて考えられませんでしたが、今はファンの皆さんにも支えられて。そんな中で競馬を提供できているのは改めて幸せなことだと思います。去年のジャパンCの時、ファンエリアを通りましたが、歩けないくらい多くの人がいてびっくりしました。こうして魅力を感じていただけているのは調教師としてうれしいですね。
本当にいい仕事をさせてもらいました。馬が好きなのは生まれてから今もこの体に染みついています。これからも競馬は毎週見ると思います。馬券は当たらないだろうけどね。他の厩舎に移る馬とスタッフ、そして弟子たち(田辺、小林凌)にはこれからも頑張ってもらいたい。一ファンとして今後も競馬を応援していきたいと思っています。(おわり)
◆小西一男(こにし・かずお)1955年(昭30)9月30日、千葉県生まれ。74年に中山競馬場の柴田欣也厩舎から騎手デビュー。同期は根本康広、加藤和宏ら。1362戦で92勝を挙げ90年に引退。同年に調教師免許を取得した。中山競馬場の厩舎で生まれ育ち、父・登氏も元騎手で元調教師という競馬一家。JRA通算7563戦537勝、重賞8勝。