3歳馬の頂点を決めるダービー(G1、芝2400メートル、31日=東京)にリアライズシリウス(牡、手塚久)とのコンビで挑む津村明秀騎手(40=フリー)が本紙のロングインタビューに応えた。
人気の一角で挑むダービーへの思い、今年の好調ぶりについて、愛する家族への思いなどを熱く語った。また、少年時代やデビュー当時の思い出、10年に第2頸椎(けいつい)骨折の重傷を負った時の様子、川田将雅騎手をはじめとする同期の存在、デビュー当初の葛藤など過去の出来事も振り返った。
◇ ◇ ◇
--競馬が好きになったきっかけ、ジョッキーを目指したきっかけは?
津村 父が競馬が大好きで小学1年生の頃から競馬場には連れて行ってもらっていました。小学4年の頃、ナリタブライアンが勝った(94年)有馬記念をテレビで見て衝撃を受けました。そのときの歓声はテレビ越しでもすごかったしそこでジョッキーになりたいと思いました。ビビッときましたね。すぐに5年生から中山競馬場のスポーツ少年団で乗馬を始めました。小学1、2年は野球、3、4年はサッカーをやっていたけど小学校を卒業した後もこれだけは続けられました。中学時代の夏休みは月曜日以外毎日馬に乗っていました。毎日楽しかったですよ。寝わら作業も楽しかった。この世界に導いてくれた父親に感謝ですね。
--少年時代の津村騎手はどんな子どもだった?
津村 割と友達もすぐに作れて誰とでも親しめるタイプの子どもでした。ダービーというすごいレースがあるのも小学4、5年から知っていました。初めて見たダービーもナリタブライアンでした。レンタルビデオ店で名馬列伝みたいなものを自分で映像を見つけて探していました。あの頃はまだ入場制限もないし、すごい人と歓声。ダービーの強さも強烈でしたよね。
-中学を卒業し、厳しい競馬学校の生活へ。思い出は?
津村 競馬学校で一番何が楽しみかというと週1回の外出なんです。日曜日に外出するとよく漫画喫茶に行って、その時学校生の中ではやっていたんです。そこでジュースをたくさん飲んだりして。ただ、体重制限があって500グラム以上増えてはいけない。帰ってきてからお風呂で絞ったり体重調整もしていました。普通の高校生って感じですよ。
-川田将雅騎手、藤岡佑介調教師をはじめとする同期の存在とは?今もYouTube撮影などで同期の20期生は仲のいい様子がうかがえます。
津村 やっぱり競馬学校ではきついことも嫌なときもありました。もちろん指導も厳しいし、先輩たちも教官も怖かった。ただ、同期がいたから一緒に切磋琢磨(せっさたくま)して頑張れた。大きな存在でしたね。今でもみんな頑張っている。言葉に出すことはないけど、刺激し合っている。あいつが頑張っているから頑張らないといけないなとかって思わせてくれますよ。
--学校時代か同期の中でも津村騎手の騎乗技術は1つ抜けていたという話をよく聞きます。
津村 そう言われるんだけど僕の中では絶対王者だとは思っていませんでした。みんなもうまいなと思っていた。丹内なんか未経験で入ってきてどんどんうまくなっていくのが分かった。逆にそういうのはうらやましかったです。みんなそう言ってくれるんだけど自分自身ではそこまで思ってなかったです。
--騎手としてデビューし、理想と現実のギャップはありましたか?
津村 理想と現実のギャップはかなりありました。2年目以降は思ったように結果がついてこない。勢いがつかず、悩みも葛藤もありました。ちょくちょくいろんな人に相談してみたけど打開するのは自分しかいませんから。苦しかったですね。