【こぼれ話】父の故郷、飛躍の原点、幻の夢タッグ…武豊騎手が思い出満載の函館で5000勝達成

函館7R、ヒミノエトワールで通算5000勝を達成した武豊騎手(左から2人目)

<こぼれ話>

JRAのレジェンドジョッキー武豊騎手(57)が12日、函館7R3歳上1勝クラス(ダート1700メートル)を1番人気ヒミノエトワール(牝、宮地)で勝利。JRA4669勝目として、地方競馬212勝、海外競馬119勝と合わせて通算5000勝を達成した。

   ◇   ◇   ◇

武豊騎手と函館は、縁が深い。父邦彦さんの出身地ということは、よく知られているが、デビュー40年目のレジェンドだけあって、他にもたくさんの思い出話を聞いたことがある。

印象に残っているひとつが、武豊騎手にとって函館は「飛躍の原点」だったという話だ。

「師匠(武田作十郎元調教師)は、夏は小倉が所属馬の主戦場やったけど、デビュー2年目に『函館に行ってこい』と言われて急きょ行くことになったんです。毎朝調教に乗って、伊藤修司先生、伊藤雄二先生、池江泰郎先生と交流ができて、その年の秋以降の飛躍につながったんですよ」

88年。19歳だった武豊騎手は8月まで重賞2勝にとどまったが、函館で名伯楽たちとの距離を縮め、秋は伊藤修司厩舎のスーパークリークで菊花賞を制してG1初制覇を果たすなど重賞4勝。翌89年はG1・4勝を含む重賞11勝を挙げた。函館で、スターダムへと駆け上がる礎を築いたのだ。

もうひとつ、武豊騎手が懐かしそうに話していたことがある。それは、42歳だった11年夏。スポット参戦していた際に、のちにG1・6勝を挙げる“怪物”と、タッグを組むプランがあったという話だ。「ゴールドシップの新馬戦に乗る予定もあったんやけどね。藤沢(和雄)先生の馬に乗ることになって、乗れなくなったんです」。結局、ゴールドシップが引退するまで手綱を握ることはなかったが、産駒のJRA初勝利はその手でもたらした。19年7月14日の新馬戦、相棒はサトノゴールド。それも函館だった。【木村有三】