40年前、輸入された100枚のボードから生まれた平野歩夢の金「楽しそうに滑っていた」元貿易商

小倉一男さんはお気に入りのボードを持って平野歩夢の金メダル獲得を喜んだ。2002年ソルトレークシティ五輪の女子ハーフパイプで金メダルのケリー・クラークからもらったボード(撮影・寺沢卓)

スノーボードの男子ハーフパイプ決勝で11日、平野歩夢(23=TOKIOインカラミ)が念願の金メダルを大逆転で獲得した。40年前に日本に初めてスノーボードを紹介した元貿易商の小倉一男さん(74)は「素晴らしかった。楽しそうに滑っていたね」と喜んだ。

この日、3度目のワクチン接種を終え「家に戻ってテレビをつけたらどの局でも確認できた」。五輪スノーボードでは日本人初の金メダルに「40年前は想像もできなかった」と語った。

1981年9月、日本向けの新商品を探す貿易商だった小倉さんは、米ニューヨークでの新業種商品の展示会で「板きれ」をみつけ、くぎ付けになった。スノーボードだった。ブースで流れる雪原をサーフィンのように滑る映像を見て「もしかしたらスキーブームの日本でウケるかもしれない」と感じ、ブース責任者に電話した。相手は「スノボの父」ともいわれたジェイク・バートンさん(2019年、65歳で死去)だった。

81年12月にバーモント州のバートンさんの自宅を訪ねると、裏山に案内され、いきなりスノーボードで滑った。バートンさんは笑顔で「大丈夫だよ」と笑うだけ。転ばずに100メートルほどを滑り切った。「こんな爽快感があるのかと驚いた。面白いと思った」。

翌月の82年1月、ボード100枚を購入し、日本に持ち込んだ。スキー経験者ではなくサーファーやスケートボーダーに説明をして歩いた。サーフショップの冬場の目玉商品として、急速にファンが増えた。ただ、ゲレンデの中腹で休んで「アザラシ」などと非難されるボーダーも出るなど、スキー場から理解を得るには時間もかかった。「ゲレンデの脇に避けてスキーのコースをふさがないルールづくりが大変でした」。

小倉さんは、平野歩とは直接の面識はないが、平野の父英功(ひでのり)さん(51)とは6年前に知り合い、子どもらが自由に楽しめるスケートパークの普及について意見交換している。小倉さんは「メダルの色も意識しただろうが、歩夢が大技に楽しそうに挑んでいたのが印象的だった。次の世代を担う子どもに夢を与えたんじゃないかな」とうれしそうに目尻を下げた。【寺沢卓】

<日本スノーボードの歴史>

▼60年代 米国でスノーボードの原型のような板状の器具で雪山を滑る人が現れたとされる

▼70年代 米国などでサーフボードに近い板で滑る人が現れる。日本国内でも、商品開発、販売が始まる

▼82年1月 小倉さんがバートンのスノーボード100枚を日本に持ち込む

▼同10月 日本スノーボード協会発足

▼83年 秋田・大仙市の協和スキー場で第1回全日本選手権開催

▼90年 北海道・ルスツリゾートで日本初のW杯

▼94年8月 IOCのサマランチ会長(当時)が長野五輪の新種目採用を提案

▼95年12月 IOC理事会が98年長野五輪の新種目に正式決定

▼97年 レジャー白書にスノーボードが初登場。競技人口は320万人

▼98年 長野五輪でアルペン大回転とフリースタイルハーフパイプ(HP)開催

▼06年 トリノ五輪でクロスが新競技。HPで米ホワイト金メダル

▼14年 ソチ五輪HP、15歳の平野歩夢が初出場、スノボ日本人初の銀メダル。スロープスタイル新種目

▼18年 平昌五輪でビッグエア新種目。HP平野歩連続銀メダル

▼22年2月 平野歩、北京五輪でスノボ日本人初の金メダル