【北京パラ】“令和のエース”誕生!距離金の川除大輝「もっと上に」第一人者新田佳浩からバトン

<北京パラリンピック:ノルディックスキー距離>◇第4日(7日)◇ノルディックスキー距離◇張家口

20キロクラシカルの立位男子で川除大輝(21=日立ソリューションズJSC)が、冬季パラリンピック日本男子最年少での金メダルを獲得した。10年バンクーバー大会アルペンスキー・スーパー大回転の狩野亮(男子座位)の24歳を大幅に更新。2回目の大会で初の表彰台に上がった。7位に終わった7大会連続出場の第一人者・新田佳浩(41=日立ソリューションズ)から、しっかりとバトンを受け継いだ。

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日本パラリンピック界に待望の“令和のエース”が誕生した。「本当にまさか自分が…という気持ちが大きくて、まだ実感がわいていない」。金メダルが決まった直後の川除の第一声が初々しかった。何しろ17歳で出場した前回平昌大会の個人種目は9位が最高だったのだ。「4年前と比べてすごく自分の成長を感じることができた」の言葉に実感がこもっていた。

レースも“まさか”の圧勝だった。生まれつき両手足の一部が欠損しているため、ストックを持たずに両手を大きく振るピッチ走法で滑る。序盤は無理をせず、得意の後半に順位を上げていく戦略だったが、2キロ前に早くもトップに立つと、10キロで2位に49・8秒差をつける独走態勢に。強豪ロシア勢の不在も追い風になったとはいえ、最後はその差を1分30秒以上に広げてゴールした。

金3個を含む通算5個のメダルを獲得している新田に、後継者に指名されていた。川除には小4の頃に、金メダルを直接首に掛けてもらった記憶がある。平昌大会では金メダルを胸にかけた新田の勇姿に「気持ちが一気に切り替わった。次は自分が」と発奮。この4年間は“師”の背中を追い続けた。19年の世界選手権で初優勝してからは“師”は“ライバル”になった。

前回の平昌大会は雪上をただがむしゃらに滑っていたが、前傾姿勢にして上半身の力をスキー板に伝える効率的なフォームに改善した。大会前には標高2000メートル近い長野・湯ノ丸高原で合宿してスタミナと心肺機能を強化した。161センチと小柄で海外勢にパワーでは劣るが、小気味いいピッチ走法は最後まで衰えることはなかった。

今大会は日本選手団の旗手の大役も任された。競技を超えて次世代エースの期待をかけられている。「新田さんに、次は自分がチームを引っ張っていく力がついたことを証明できた。もっと上に行きたい」。日の丸をまとった笑顔の21歳が、何だかずいぶんと大きく見えた。

◆川除大輝(かわよけ・たいき)2001年2月21日、富山市生まれ。生まれつき手足の指に欠損があったが、小1から地元クラブでスキーを始める。富山・雄山高で全国高校総体に出場し、卒業後はノルディックスキーの強豪日大に進学して、パラの日本代表活動と並行して健常者ともしのぎを削る。18年平昌パラリンピックは個人ではスプリント9位が最高。混合10キロリレーは4位。19年世界選手権(カナダ)の20キロクラシカルで金メダルを獲得した。

○…金メダリストになった川除に、新田は「これから引っ張ってくれる存在。これがゴールではない。もっと成長する。もっと高みを目指してほしい」とエールを送った。自身は7位に終わり、一緒に表彰台に上がる目標は達成できなかったが「川除が優勝できてよかった。すっきりしました」とコメントした。

一昨年の夏に左足首捻挫という故障にも見舞われた。昨年末からは原因不明の右腕のしびれにも悩まされた。それでも「選手である以上はメダルを狙っていく」と勝負にこだわって本番に臨んだ。今大会で7大会連続出場。本命のレースを終えたレジェンドは「いいときも悪いときもあったが、家族や仲間に支えられた。この競技をやってよかった」と、98年長野大会からのパラリンピック人生を感慨深げに振り返った。