<北京オリンピック(五輪):ジャンプ>◇男子ノーマルヒル決勝◇6日◇国家ジャンプセンター
小林陵侑(25)がぶっ飛んだ。表彰台の中央に立つ時もぴょんと跳ねて飛び乗った。“魔物がすむ”と言われ、数々の優勝候補がプレッシャーで泣いた大舞台で、頂点に立った。機嫌良く「僕が魔物だったかもしれないです」と笑った。25歳のエースが日本ジャンプ界に24年ぶりの金メダルをもたらした。
強かった。気まぐれな風も日本のエースには関係ない。1回目は向かい風に恵まれない中でも104・5メートルを飛んで首位。金メダルをぐっとたぐり寄せると、不利な追い風となった2回目も重圧を振り払い、99・5メートルまで伸ばして逃げ切った。試技は出場50人中ただ1人飛ばなかった。「いいイメージがあった」と、ぶっつけ本番でビッグジャンプを披露した。
岩手県八幡平市出身。ジャンプ一家で育った。4人きょうだいの次男。父宏典さんが自宅の芝生に雪を積み上げて作った3メートルのジャンプ台で3歳から5歳上の兄潤志郎をまねてスキー板をはいて飛んだ。小学5年時には岩手県主催「いわてスーパーキッズ」の第1期生に選ばれた。県内の応募者1114人中78人の合格者となり、当時から身体能力と対応力の高さは光っていた。
他競技を体験すると、短時間ですぐにマスターした。特にレスリングの授業では指導者から「この子ならレスリングで世界に行ける」と太鼓判を押されるほどだった。地元での原点が世界一のジャンパーを育んだ。
初出場だった前回の18年平昌五輪の個人ノーマルヒルで日本勢最高の7位入賞。翌シーズンはW杯総合優勝。だがその後2シーズン、腰痛などもあり納得のパフォーマンスが出せなくなった。
だが、周囲が期待するのは勝利。「みんないい時期を知っている。比較されてしんどい」と漏らしたこともあったが、その期待と重圧も受け止めて、さらに強くなろうと決意した。
これまでやったことがなかった動画での研究をした。特に繰り返し見たのが好きな平昌五輪団体金メンバーのタンデ(ノルウェー)のジャンプ。気づいたことはスマートフォンのメモ機能に記録し、見返した。
くしくも72年札幌五輪で笠谷幸生ら「日の丸飛行隊」が表彰台を独占したのは同じ2月6日。以来、ちょうど50年後、自身のYouTubeチャンネルの動画内で「ぶっ飛んでいきましょう」とあいさつするのがお決まりの25歳が、世界中をわかせた。残りの個人と団体を含め前人未到の4種目制覇の夢も広がる。「楽しみですね」と自身への期待を高めた。【保坂果那】