2020年東京パラリンピック開幕まで8月25日であと2年の節目を迎える。いよいよ近づいてきた夢舞台へ向けて車いすテニス男子シングルスで3度目の金メダルを目指す国枝慎吾(34)と、日本財団パラリンピックサポートセンター(略称パラサポ)のスペシャルサポーターを務める香取慎吾(41)が初対談。実際にテニスで手合わせもした“ダブル慎吾”のトークは競技の魅力、見方、さらにお互いが思い描く東京パラリンピックまでに及んだ。【取材 上岡豊、首藤正徳、吉松忠弘】


「W慎吾」対談で、ラケットを手に握手を交わす国枝慎吾(右)と香取慎吾(撮影・林敏行)
「W慎吾」対談で、ラケットを手に握手を交わす国枝慎吾(右)と香取慎吾(撮影・林敏行)

東京パラリンピックの“顔”でもある国枝と香取は、ともに対面に感激した。

香取慎吾 やっとお話しできました。国枝さんの活躍を見て「慎吾スゲーぜ!」って思っていたんです(笑い)。SNSで“慎吾”で検索すると、国枝さんの試合の結果が出てきたりするし。以前から、ずっと「いつ会えるかな」って思ってました。

国枝慎吾 1度、お会いしているんですけど、お話しできる雰囲気じゃなかったんですよね。僕もYouTubeで自分の試合の動画を探す時、ローマ字で検索するんですけど“Shingo・K”まで一緒じゃないですか。そうすると香取さんの映像が出てきて。

香取 そーだ。“K”まで同じですね(笑い)。

国枝 それに小学生の時に初めて買ったCDが(SMAPの)「$10」だったんです。今でもカラオケで歌ってます。

香取 うれしいです。今度、一緒にカラオケに行きましょう(笑い)。

対談前、2人はテニスをして意気投合した。

香取 テニスを始めたきっかけは?

国枝 9歳で車いすに乗るまでは野球少年でした。最初は車いすバスケットをやりたかったけど、チームがなくて。近くのテニスクラブで車いすテニスもやっていると聞いて、行ったのがきっかけです。あまりやりたくなかったのですが、やったら楽しくて。

香取 もしかしたらテニスじゃなくてバスケだった可能性もあるんだ。

国枝 試合をしたら負けて、悔しくて、それで、のめり込んでいって。いつしか目指すところが世界になっていました。


国枝慎吾とテニスをする香取慎吾
国枝慎吾とテニスをする香取慎吾

国枝は04年に20歳でアテネ・パラリンピックに初出場。以来、4大会連続出場中で、東京に出場すれば5大会目になる。

香取 レジェンドすね。スポーツ選手は年齢的にピークとかあるじゃないですか。車いすテニスにもあるんですか。

国枝 去年は(右ひじの)ケガからの復帰の年で調子が良くなかったけど、今年はグランドスラムで2度優勝していますし、テニスのレベルは上がっていると感じています。技術的にも新しい気付きがいっぱいあるし。34歳だけど、まだまだ伸びしろはあると思いますね。20歳の僕と今の僕が戦ったら、今の僕の方が間違いなく強いので、今が僕史上、最強です。

香取 うわぁー。それを言えるのは、やっぱり本物ですね。言いたくても、なかなか言えるものじゃないです。僕も、今が最高と思っていますけど(笑い)。

国枝 名前の“慎吾”という漢字の意味では、我を慎むですけど、「最強だ」とか言ってます(笑い)。

香取 あー。僕も慎んでないですね(笑い)。


香取慎吾とテニスをする国枝慎吾
香取慎吾とテニスをする国枝慎吾

東京パラリンピック開幕まで2年。選手として、サポーターとして、ともに何を目指していくのか。

国枝 大会の成功か失敗かの基準は「どれだけお客さんが楽しめたか」だと思うんです。それには何が大事かというと、選手が度肝を抜くようなパフォーマンスを見せることだと思っています。僕自身のレベルを上げて、お客さんに興奮してもらうことが、成功のカギになると思います。

香取 実は今年の3月に平昌(パラリンピック)に行って考え方が、がらりと変わったんです。それまでは“障害のある人がやっているスポーツ”という見方をしている部分があって、「頑張って」という感じだったんです。でも現地でホッケーとか見たら、良いプレーには「イェーイ!」とか声援があるけど、ダメなプレーには「何やっているんだよ」という声が上がる。「あぁ、こうやって楽しんで良いんだ」って思えるようになって。会場に行って、ただ「頑張れ、頑張れ」って応援するのは、違うと思ったんです。

国枝 すごい。本当に同じ気持ちです。僕もパラスポーツを見る目を変えたいとずっと思っています。どうしても“同情”という見方があると思うので。12年のロンドン・パラリンピックは、選手みんなが良かったと言うんです。僕もそうですけど、イギリスはウィンブルドンがあるので目が肥えている人が多くて、観客も盛り上がるべきところで盛り上がる。スポーツを楽しみに来ていると、プレーしていてすごく思ったんです。それを東京でも実現できたらいいなと思うし、そういうレベルまで日本のスポーツ文化を上げていきたいという気持ちがあります。

香取 そのためには、見る方も20年大会で初めて応援ではなく、それまでに少しでも会場に足を運んでもらえると競技のことを分かってもらえるかなと。でも僕が皆さんに見に行ってくださいと言っても、パラスポーツがいつ、どこでやっているか情報がないんですよね。

国枝 確かにそういう情報は見ないですね。僕は海外でしか試合していないのであまり言えないですけど(笑い)。

香取 僕はSNSをやっているので、いろんな方と会った時に発信すると良いですね。それこそ、国枝さんと会ったら、国枝さんについて発信していくみたいな。小さなことだけど、今日、気付きましたよ。

意気投合するうちに、香取が胸に秘めていたある計画を明かした。

香取 パラサポセンターの壁に記念壁画を描いてから、ずっと思っていることがあるんです。国枝さんと絵を描きたいなと。壁とかを用意してテニスボールにペンキをつけて「この色をあそこに打ってください」と言ったり、車いすのタイヤにペンキをつけて「ここを走ってください」と言いながら絵を描いてみたいです。他のパラスポーツの選手に協力してもらってもいい。心にためていたことなんだけど、うれしくて言っちゃいました。

国枝 面白いですね。「ずれているよ」と言われないように、しっかり狙いに当たるようにコントロールを磨いておきます(笑い)。僕の試合も見に来てください!

香取 行きたいですね。試合中の国枝さんをぜひ、見てみたいです。

◆香取慎吾(かとり・しんご)1977年(昭52)1月31日、神奈川県生まれ。88年に11歳でSMAPメンバーに。04年NHK大河ドラマ「新選組!」など多くの主演作がヒット。17年に独立後、映画やミュージカル、アーティストなど積極的に活動している。今月25日には東京・帝国ホテルの商業施設「帝国ホテルプラザ」に独自ブランド「JANTJE_ONTEMBAAR」のショップをオープン。9月にはフランス・ルーブル美術館で個人展覧会を開催する。血液型A。

◆国枝慎吾(くにえだ・しんご)1984年(昭59)2月21日、千葉県柏市生まれ。9歳の時、脊髄腫瘍で下半身まひに。小6で車いすテニスを始め、06年に初の世界ランク1位。07年に車いすテニスの男子シングルスで史上初めて、年間4大大会全制覇を達成した。09年にプロ転向。パラリンピックは04年アテネ大会に初出場。斎田悟司と組んだダブルスで金。北京、ロンドンではシングルス2連覇。斎田とのダブルスで北京、16年リオデジャネイロ大会で銅。


国枝慎吾(手前)が打ったサーブを打ち返す香取慎吾
国枝慎吾(手前)が打ったサーブを打ち返す香取慎吾

○…対談前にテニス経験がほとんどないという香取は、国枝を相手にコートに立った。「試合のときの6割くらいの力で打った」という国枝のサーブに最初は苦戦したが途中からは「楽しい」と笑顔を見せて打ち返した。回転のかかったボールにも「真っすぐくると居場所がなくて怖くなるけど、途中からくる場所が分かるようになって、それほど怖くなくなりました」とコツをつかんだ様子だった。一方で国枝のオーダーメードの車いすにも興味津々で、一般の車いすとの違いや、ターンする際の筋肉の使い方など質問攻めにした。


●20年東京パラリンピック 8月25日から9月6日まで13日間、車いすテニスのほか陸上、水泳、柔道、車いすバスケットボール、ボッチャなど22競技が実施。東京は史上初めて64年大会に続くパラリンピックを2度開催する都市になる。開会式と閉会式は五輪と同じ新国立競技場で行われる。